もう10月になって、夏休みでもないんだけれど、実はまだ夏休み中にやるはずだった仕事ができていない。紀要論文の原稿である。誰に命令されたのでもない、自分で書くと決めたことなのに、さっぱりやる気が出ないままに、とうとう夏休みが終わってしまった。で、10月11日の締め切りをにらみながら、今頃焦っている。
「何でもっと早くはじめないの?」などと言われても、書く気にならなかったものは仕方がない。特に忙しかったわけでもないのに、デッド・ラインをにらみながらののんびり作業。そんな怠け態度にバチがあたったのか、先週から風邪気味で、ここ数日は熱も、咳も鼻水もでて、最悪の状態、とても考え事ができる状態ではない。けれども締切がせまっていることを考えると、寝てばかりもいられない。で、熱を下げる風邪薬を飲んで頑張っている。しかし、つらい。
とは言え、決して文章を書くのがしんどいわけではない。実際、締切時間を気にしながら、もう一方で、ホームページ用の原稿も書いている。しかも、こちらはきわめてスムーズで、また楽しい。毎週一本づつというノルマを自分に課しているが、逆にストックが出来るくらいで、書く材料に困ったり、書くのが億劫になったりしたことはない。去年の12月から本格的にはじめたから、もうすぐ一年。一回が1500字前後と短いが、およそ、50本になった。僕はコラムニストに向いているのかもしれない。最近、冗談ではなく、そんな気にもなる。
ところが、長いものをじっくり考えるのが面倒になってきた。もちろん、これは、今連載で考えているテーマのせいでもある。どうしても一回が百枚前後になってしまう。材料集めの大半は、英語の文献の読みに費やされる。ロックに代表されるポピュラー音楽について考えているのだが、この種の本は最近アメリカとイギリスから、続々出されている。気になる本は当然、手に入れて、中身を確かめる。おもしろい部分も少なくないが、同じ様な内容にうんざりすることも多い。しかし、新しい本が出ると、ついつい気になってまた買っては読みはじめる。そんなことをしているうちに時間だけがどんどんすぎてしまうというわけである。
だから、これはきっとテーマのせいなのだ、と考えることにしているが、また、どうも頭に霞がかかったみたいで、最近、サエないな、という自覚もある。以前なら、材料を集めてラフな構成を考えれば、あとはひとりでに文章が湧いてくる、といった感覚があった。文章を書きながら、それ以前には気づきもしなかった発想を発見したり、説得力のある文章構成やおもしろい逸話を思いついたりしたことも何度かあった。ところが、ここ数年は、材料があるのに、モニターとにらめっこでさっぱり進まないといった状態をくりかえしている。老眼が始まったせいかもしれないなどと理由を考えてみる。しかし、本が読みにくくなったのは確かだが、明るいモニターは決して見にくくはない。
老眼、ぎっくり腰、それにちょっと走っただけなのにおこった肉離れ。身体的な衰えは、はっきり自覚できるほど確実に進んでいる。だからきっと、頭も衰えはじめているに違いない。最近そんな不安を感じることもある。英語の文章を読んでいて、何度もひいたことがある単語だと思いながら、わからなくてまた辞書をひく。するとアンダーラインまでひいてあって、うんざりしてしまう。度忘れも顕著で、人の名前が出てこない。夏休みの間に、ゼミの学生の名前を半分ほど忘れてしまっていた。大学の教員という仕事を最期まで勤め上げる気なら、まだ20年以上ものこっている。大丈夫かな?と本気で心配してしまう。
論文も書かず、本も読まず、学生の名前も覚えず、そんなになってまで教師を続けたくはないなと思うが、それはそんな先の話ではないのでは、と気づいてドキッとする。そうなる時期を少しでも遅らせるために、せめて、ホームページの原稿だけは、もうちょっと先まで楽しく書きたいものだと思う。カゼをひいたぐらいで、何かすっかり落ち込んでしまうようなことを考えてしまった。
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