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「教授!話が違います!!」

03年度卒論集





2003年度卒論集

目次

1) SFとファンタジー ……………………………………………四宮 響
2) サービスという名のコミュニケーション………………新井さやか
3) キャップの下のジャップ………………………………………渡辺賢
4) マンガと暴力、性描写を弁護する………………………島田健太郎
5) アメリカ合衆国におけるサッカーの存在…………………八巻貴洋
6) Jリーグ百年構想 ……………………………………………斉藤大樹
7) 街の色とわたしたちの生活…………………………………松井優子
8) 香りの好み〜組み込まれるにおいたち〜………………坪井真沙美
9) 情報時代の表現の自由………………………………………金子拓人
10) こんなにすごいぞ 昭和30年代 ………………………篠原悠里子
11) 子どものペット化現象について ………………………… 池田恵美
12) 笑いのメカニズム ………………………………………… 許斐勇人
辛口批評
今年のゼミはにぎやかだった。去年とはまったく対照的だったから、その違いは一層際だっていた。コンパ好きで、議論も活発。ちょっとずっこけたところが心配だったが、就職も例年になくスムーズに決まって、この面でもびっくりした。社会人になったらそれぞれのユニークさを生かして自分を発揮してくれたらと思う。卒論も例年以上のできで、それなりにがんばった力作ぞろいだと言える。
今年の巻頭論文は四宮響君の「SFとファンタジー」。SFとファンタジーは違うのに、なぜ一緒になってジャンル分けされているのか。そんな疑問を丁寧に追っかけて、説得力のある文章にまとめた。秋口から書いては持ってきて、その都度いろいろ話をした。整理された論文を書くためには早めの準備が必要で、その典型だと言えるだろう。「ポストモダン」や「60年代」にも関心があって、登録できない僕の「現代文化論」にも出席した。論文らしきもののの入り口に辿り着けた一作。
新井さやかさんの「サービスという名のコミュニケーション」も良くできている。ファーストフードの店でずっとバイトをしていて、その経験が論文にうまく生かされた。「他人(客)」とのコミュニケーションを仕事にする人は自分の「感情」を売り物にする。商売とは昔からそういうものだったが、見知らぬ他人と不断に親密な関係をとりあう仕事はまた、きわめて現代的な職業でもある。そのおもしろさやしんどさがうまくまとまとめられている。「感情論」にもう一歩踏み込めたら、というのが不満。
渡辺賢君の「ヒップの下のジャップ」は苦心の作だ。hip-hopというテーマをhip-hopのスタイルで論文にしようとしている。最初は何じゃこれ!?という感じだったが、よくここまで持ってきた。ポピュラー音楽の「ホンモノ・ニセモノ論争」はロック以来くりかえされていて、彼は日本のラップに「ホンモノ」を見つけようとした。しかし考えれば考えるほど、それが遠のいてしまう。「ニセモノでいいじゃないか」という僕の意見に抵抗し続けた結果がこの論文だと言っていい。
島田健太郎君の「漫画の暴力・性描写を弁護する」も意欲作だ。彼はとにかく、事件があるたびにやり玉に挙がる漫画の悪影響という風潮に怒ってきた。その気持ちが先走って感情的になったり、断定的になったり、説明過剰になったりして、とにかく冷静に、もっと具体的にというアドバイスをしつづけてきた。漫画論を熱心に読んでよくまとめられたと思う。漫画の悪玉化は問題だが、毒がなくなったら漫画のおもしろみも消えてしまう。そのアンビヴァレントなところをどう表現するか。彼にとっては、まだまだ不満が残るできだったようだ。
八卷貴洋君の「米国合衆国におけるサッカーの存在」はおもしろい視点だと思う。プロ・スポーツが主流のアメリカでサッカーはあまり人気がない。しかし、実力は世界の強国の一つ。この落差に対する疑問が出発点だった。ユニークな視点ゆえに参考にする文献や資料も少ない。どうなるかと思ったが、何とかまとめてきた。冗談が好きでちゃらんぽらんな発表をしていた割りには論文はしっかりとしている。彼はこの卒論集の命名者で「教授、話が違います」とはどういうことか聞いたのだが、それもまた、はぐらかされてしまった。
斉藤大樹君の「Jリーグ百年構想」は、Jリーグ応援歌であると同時に、「FC東京」のスポーツ・ボランティアとして過ごした大学生活の総括でもある。真面目な性格そのままに、論文も真面目そのものだ。そこがいいとも言えるし、欠点だとも言える。僕としては味の素スタジアムに移転してきた「東京ヴェルディ」のわがままさ、読売グループの横暴、Jリーグの危うさ、あるいはワールドカップでの妙な盛り上がりやプチ・ナショナリズムの能天気さなど、距離をおいた批判的な目を向けて欲しかったのだが、心やさしい性格の彼には無理な注文だったようだ。
松井優子さんの「街の色とわたしたちの生活」は故郷の前橋を見つめ直したものだ。街の色に関心があると言ったから、路上観察をして街の色をチェックすること、という課題を出した。しかし、いつまでたってもやらないから、報告は少しも進展しなかった。東京には雑多な色であふれた街がたくさんある。材料には事欠かないはずだが、何か抵抗があったようだ。選んだのは慣れ親しんだ前橋。卒業後には家に戻るというから、東京の色には馴染めなかったのかもしれない。ならば色から東京批判をしたらもっとおもしろかったと思うが、それほど強い違和感をもっていたわけでもないようだ。
坪井真沙美さんの「香りの好み」は彼女の香水に対する関心から始まって、匂いや臭いについてまとめたものである。それなりに調べた点は評価できると思う。けれども引用の多い文章が示すように、内容にオリジナルな部分があまりない。就職先ですでに仕事をはじめていて、卒論に十分な時間がとれなかったためだし、こちらも注文をつけにくかった。なにせ、女子学生の就職戦線は特に厳しかったのである。
金子拓人君の「情報時代の表現の自由」は最初のテーマとはずいぶん違うものになった。書き直しをして具体例を入れたからずいぶんわかりやすくなったが、最初にもってきたものは法律用語でいっぱいだった。彼はこれからの進路であれこれ迷っていて、卒論に十分な時間とエネルギーをかけることができなかったようだ。最後のコンパでは生クリームを顔に塗って場を沸かしたが、本当は卒論で注目させて欲しかった。八卷君同様広告の仕事が希望だったが、さあ、どうするか。蕎麦屋さんなら食べに行くぞ!
篠原悠里子さんの「こんなにすごいぞ、昭和30年代」は彼女のイメージと僕の記憶がまったく交差しないところから始まった。「ナンジャタウン」で30年代を理解されたのではかなわないから、いろいろ話をしたのだが、よくわからない。その時代を描いた小説や映画にも疎い。で、バイト先のおばちゃんや両親から話を聞くように言った。それで論文としてはだいぶましになったが、彼女の能天気さは全然改善されていない。とにかく、人の話を黙って静かに聞くこと!チョコレートの食べ過ぎには気をつけること!!
許斐君は4年間ゼミの学生だった。入学時に哲学が勉強したいと言ったからずいぶん期待をかけた。ゼミのリーダーとしても有能だった。当然、卒論についても期待したのだが、完全にはずれ。4年のゼミにはあまり顔も見せなかった。体育会で忙しかったようだが、哲学をどこに置き忘れてしまったのか。「笑いのメカニズム」には、その痕跡は伺える。けれどもそれは、参考にした本の孫引きにすぎない。「うんこ」では束の間の笑いはとれても論文の点はとれない。もっとも仕事についてもまだ模索中だから、哲学的な悩みはまだ、お尻にぶらさがっている。
池田恵美さんの「子どものペット化現象について」も煩わしい作品だった。ものごとを論理的に考えることが苦手で、歴史的な時間感覚が希薄。だから「むかし」とか「みんな」といったことばで何でも語り出してしまう。それは文章にも出ていて、逐一指摘して考えさせるようにした。依存的な姿勢も極力冷たくあしらって、自覚を促した。卒論は少しだけましになったが、彼女自身の態度に変化の兆しはうかがいにくい。ペットのように甘やかされて育った見本があなた。東京で過ごした4年間であなたは何を得て、両親はいくら使ったのか。そういうことを考えるようになったら、無駄ではなかったと思うのだが………。
ゼミの最後の日に研究室で缶ビールと酎ハイで乾杯をした。その時に書いてもらったのが、最初に載せた寄せ書き。やっぱり、それぞれに特徴が出ている。一番先に中央に「うんこ」を書いたのが許斐君。反省、言い訳、おべんちゃら。もちろん正直な言葉や心情の吐露もある。ユニークな学生がいて、楽しかった!ほな、さいなら!!

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