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●最近の個人的な話題、問題.........


井上摩耶子『フェミニスト・カウンセリングへの招待』(ユック舎)
  • 井上摩耶子さんとは、もう25年以上のつきあいだが、最初から、話のしやすい人という印象だった。井上俊さんに会いに行く。二人の会話はぼそぼそとしたものだが、彼女が中に入るとその雰囲気は一変した。その時、カウンセラーという職業はすごいものだなという印象を持ったことを今でもよく覚えている。とにかく会話をする関係にあっては、ぼくも俊さんも、彼女にはかなわない。そんな感じだった。
  • その摩耶子さんがはじめての本を出した。彼女のことが今さらながらによくわかって、とてもおもしろかった。それにもちろん「フェミニスト・カウンセリング」なるものが何なのかということも、あらためて、再認識させられた。
    物語を聴くことは、今もうっとりする体験である。子どもの頃は、もっとうっとりする体験だった。私の想像力は、人が話す物語を聴くときに一番遠くまで広がっていく気がする。カウンセラーとして他者の人生の物語を聴く仕事についたのは、子どもの頃からの物語好きが蒿じた結果なのかもしれない。 p.204
  • もちろん、彼女が聴く物語は決して楽しいものではない。と言うよりは、きわめて深刻なものであることが多い。強姦、セクハラ、家庭内暴力、離婚.......。その被害者となる女性達の悩みを誰より同じ性を持った一人の女として聴く。聴きながらその体験に共感的な理解をしようと試みる。「シスターフッド」と「フェミニズム」。そこを基盤にした相談者への「勇気づけ」。彼女によれば「フェミニスト・カウンセリング」の意味は、何よりここにあるのだという。
  • 摩耶子さんは「個の自立」ではなく「関係の中の自立」なのだという。あるいは「個人の存在をかくも証明しがたい社会にあって、自分の根っこを他者との関係の中に張り、他者との相互作用関係の中に自己の存在を確認する以外にどんな方法がある」かと問いかける。また「人はやっぱり言葉で分かり合うのだという当たり前のことを理解した」という。
  • ぼくは他人に悩みをうち明けたりすることはめったにしない。だから、逆にうち明けられても、対応の仕方にとまどってしまうことが多い。酒を飲んで本音を語り合うといった「ブラザーフッド」の関係があまり好きではないから、この本に書かれている「シスターフッド」の関係も、正直なところ、実感としてはよくわからない。もちろん、「共同体や他者との関係から切れて浮遊する個人」といったイメージが幻想であることは承知しているが、といって自分のアイデンティティを確認したり、あるいは変容させたりできる関係が、そう簡単に、あるいは多様な形で作り出せるとも思えない。
  • そんなふうに、自分が作っている世界や人間関係と重ね合わせてこの本を読んでいくと、摩耶子さんのやっていることは、なんてしんどい作業なんだろうと、どうしても思ってしまう。話を聞いてしまったら、関係ができてしまったら、もう小説の読者や映画の観客ではいられない。そう、ぼくは基本的には世間や他人とは読者や観客としてつきあっていて、それ以上の関係になるのは、ごくごく限られた人とだけでいいと考えている。この本を読んでいて、今さらながらにそれを実感した気がした。
  • とはいえ、関係の大切さはやっぱり見直さなければいけないと思う気持ちもないわけではない。あの浮遊感覚の代弁者だった村上春樹ですら、「デタッチメント」ではだめで、「コミットメント」でなければと言い出しているのだから...........。
  • ところで、「俊さんは、鶴見さんの話を聞きたいために摩耶さんに会ったって本当なんですか?」これは、今度会ったらぜひ聞いてみようと思う。


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