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マイケル・ムーア 「ボウリング・フォー・コロンバイン」


マイケル・ムーアはドキュメント映画の監督で、「ボウリング・フォー・コロンバイン」は去年のアカデミー賞に選ばれている。授賞式はアメリカ軍のイラン侵攻から4日目のことで、彼はそこで次のような発言をした。
われわれは作り物の理由でわれわれを戦争に送るような男がいる時代に生きている。戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ
アメリカ人であれば戦争批判を躊躇するのがふつうの時期にした、きわめて率直で、当たり前の発言。ブッシュの強引な開戦理由にうんざりし、小泉の追随姿勢にあきれ、イラクの戦況に憂鬱になっていたから、痛快な気持になった。で、どんな映画なのか見たいと思った。もっとも、彼の作品が「最優秀ドキュメンタリー賞」を取ったのは、こんな時期だったからで、アカデミーの良心の表明なのではないか、といった気がしないでもなかったから、それほど期待もしていなかった。
Wowowがマイケル・ムーアの特集(1月31日)をして、彼の作品を3本とテレビ番組を放映した。僕はその大半を見たが、作品の主張はもちろん、ムーア自身の存在感の強さに圧倒された。巨体で行動的、辛辣だがユーモアにもあふれている。カメラを持ってどこにでも出かけ、誰にでも会い、いきなりカメラを向けて、核心をつくインタビューを試みる。それはデビュー作からの一貫した、彼の姿勢と手法だった。
彼のデビュー作は『ロジャー&ミー』。生まれ故郷のミシガン州フリントは世界最大の自動車メーカー「GM」創設の地だ。住民の大半はGMの工場で働いているのだが、輸入車に対抗するための海外への工場移転で、職を失ってしまう。ムーアは寂れていく街の様子や人々の暮らし、そしてGMの会長(ロジャー・スミス)を追い続けて、一本の作品にした。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」 も手法はまったく同じだ。扱ったのはコロラド州のコロンバイン高校で1999年に起きた二人の生徒による銃の乱射事件で、彼らは13人を殺した後に自殺をしている。現場に行き当事者に会ってインタビューをする。そこに学校内に設置されたビデオカメラが撮ったできごとの様子を挟みこむ。そうして彼が問いつづけることは、子どもたちの信じられない行動を非難することではなく、銃とそれに対するアメリカ人の思いだ。
アメリカには2億5千万丁の銃(国民一人に1丁)があり、それによって毎年11000人を超える人が殺されている。銃による殺人はイギリスでは68人、日本では39人で、銃の所持が厳しく制限されていることを考慮すればその少なさも納得できる。しかし、ムーアが問題にするのは、同じように銃の所持が簡単なカナダでも、それを使った殺人は米国とは比較にならないほど少ない点だ。
彼はそこに、弱者や貧者に対する姿勢の違い、コマーシャリズムの度合いの違い、そして、アメリカの豊かな者たちの心に潜在する不安や恐怖心の大きさに注目する。その象徴として追いかけ回すのが「全米ライフル協会」の会長であるチャールトン・ヘストンだ。自分の命や財産は自分で守る。そのために銃は不可欠。銃は保険であり、精神安定剤でもある。頑丈な柵と塀に守られた豪邸に住み、襲われた経験のないヘストンだが、銃の必要性を信じて疑わない。そんな彼の姿勢が次第に恐ろしく、また滑稽に感じられてくる。
ムーアの故郷フリントでは6歳の男の子が6歳の女の子を撃ち殺す事件が起きた。そのことをあげてヘストンを問いつめると、彼は不愉快な顔をして「もう時間をオーバーしている」とインタビューを拒否しはじめる。この時のヘストンの表情はけっして正義のガンマンではなく、「正義」や「悪」を好んで口にする時のブッシュの間抜けな表情によく似ていた。
コロンバイン高校の事件の後、その原因としてやり玉に挙げられたのは、犯人の高校生がよく聴いていたロック・ミュージシャンのマリリン・マンソンだった。ムーアはマンソンにもインタビューをするが、このやりとりはきわめて率直で自然だ。ステージ上のおどろおどろしいマンソンとは違うふつうの青年の一面が見えた。
ムーアは犯人の聴いていたロックが問題なら、犯人が好きだったボーリングだって問題だろうと言う。何しろ犯人の高校生は銃を乱射する直前まで、ボウリングをしていたのだから。アメリカでは、ボーリングのピンは射撃の訓練の標的によく使われている。理由は人間の身体に似ているから。ボーリングのピンを倒し、ストライクの痛快さを味わいながら、それが生きた人を倒す妄想に発展する。そんなことだってあるんじゃないか。「ボーリング・フォー・コロンバイン」というタイトルにはそんな意味が込められている。
だったら、なぜ高校生はボーリングのピンを倒すように、同じ高校の生徒に銃を向け乱射したのか。銃があまりに手近にあり、それに頼り、それによって不安を拭おうとする大人たちが身近にいる。貧しい者、弱い者、持たざる者への蔑みと不信感。ムーアの主張はきわめてわかりやすくて、また説得力もあるが、そんな神経症的な不安感を世界中に振りまかれたのではたまったものではない。笑いながら同時に背筋が寒くなった。


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