NHKがハイビジョンで音楽の源流をたどる番組を3日連続で放送した。1日目は「ジプシーとバイオリン」、2日目が「ポルトガルとギター」、そして3日目は「ロックとアイルランド」。2時間ずつの意欲作だったが、とりわけ1日目の「ジプシー」がおもしろかった。
「ジプシー」は放浪の民としてよく使われることばだ。「ジプシー選手」(いくつものチームを渡り歩く)等といった言い方もあるが、このことばには、旅や異郷といったロマンチックな気持ちを感じさせるはたらきもある。しかし、ジプシーと呼ばれる人たちが、今でもいるのか、いるとしたらどこに、といったことは、案外知られていない。ぼくも何となくスペインや東欧を連想するぐらいで、それ以上のことはほとんど知らなかった。
ジプシーはロマと呼ばれ、現在ではルーマニアとハンガリーに住む民族だ。相変わらずの旅生活をしている人もいるが、その数は少ないし、移動もルーマニア国内に限られている。生活の糧は、ナベをつくって売り歩くことと冠婚葬祭での楽士。「番組」は、バイオリンなどの楽器を独特の手法で操る人をさがしてルーマニアとハンガリーを巡る。
ロマはもともとはインドにいた。それが、追われるようにして西に移動する。1200年も前の話だ。今のパキスタン、アフガニスタン、イランを通ってトルコへ、そこからヨーロッパに入り、ハンガリーやルーマニアからロシア、あるいはバルカン半島、またアフリカの地球海沿岸を通ってスペインに移動する。もちろん数百年をかけてたどった道のりの話だ。
何よりおもしろいのは、彼らが移動した先で、新しい音楽をつくりだしていることだ。たとえば、イスラムの世界ではコラーンを読む独特の音色、トルコのベリーダンスの音楽、そしてスペインのフラメンコ。それぞれに共通するものは特にない。そこのところが意外な気がしたが、またロマの境遇を如実に表しているとも思った。
放浪の民は定住民のなかでは異物扱いされる。蔑まれ、忌み嫌われる。外からの侵入者であり、異様な風体と生活習慣をもつ者だからだ。だからロマは定住者と距離をもって生きることになる。一カ所に落ち着かず、時折やってくる人たち。で、接点は音楽。ロマは、冠婚葬祭に呼ばれて、その土地の音楽を奏で、踊りの伴奏を受け持つ。自分たちの音楽ではなく、定住者たちのものを、後ろで目立たずに背景のように演奏して、それで、存在を認めてもらう。「非在の存在」。だから彼らには、自分の音楽を公にする機会はない。
ルーマニアとハンガリーの国境に住むロマは、ルーマニア人に頼まれればルーマニアの音楽、ハンガリー人に頼まれればハンガリーの音楽をやる。国境が頻繁に変わった歴史をもつこの地方には、二つの国民、民族が混在している。ロマはどちらにも等距離を取って、排除されないように心がけて生きてきた。しかし、差別や弾圧がくりかえされて、多くの人が殺されるという経験もしてきている。ナチはユダヤ人と同様にロマも強制収容所に送り込んで大量殺戮をしたのだが、その理由は、乞食のような生きるに価しない民族という理由だったらしい。そしてユダヤ人とちがって、そのことで一言の謝罪もされていないし、賠償金ももらっていない。
そんなほとんど無視された「非在の存在」としての民は、しかし音楽のなかに大きな足跡を残した。ロマはなぜ音楽の民になったのか。番組ではそこまで掘り下げなかったが、興味深い疑問だと思った。もともと音楽に秀でていたのか、あるいは流浪という生活スタイルに音楽が不可欠だったからなのか、それとも、定住者に存在を認めてもらうための術としてだったのだろうか。興味は尽きない気がした。
2日目は大航海時代にインドをめざしたポルトガルの船が世界各地に残したギターの話。こちらの移動はインドにむかい、侵略という結果をもたらした。ブラジル、インドネシア、台湾、あるいはハワイ。そこで「ギター」はそれぞれ、「カバティーニョ」や「ウクレレ」といった楽器に変形して、サンバやクロンチョン、あるいはハワイアンといった独特の音楽をうみだした。
そして3日目がアイルランドとアメリカ移住者がもちこんだ音楽。これは目新しい話ではないし、ロンクンロールの源流に無理にこじつけようとしているところが気になった。案内人のデーモン小暮も、前の二日とはちがって違和感のある人選のような気がした。しかし大きなテーマには3日間を通して共通するものがあった。
20世紀のポピュラー音楽が黒人のブルースとアイルランドの音楽を土台にしていることは当然で、移民と奴隷という、やはり移動する人が主人公になっている。音楽は民族の象徴ともいえる特徴をそれぞれにもつが、また、異なるものとの交流によって変容し、豊かになる。1000年を越えるジプシーの放浪と音楽、大航海時代から近代化のなかでうまれた音楽、そして20世紀の戦争とテクノロジーの時代にうまれた音楽。民族の移動、侵略、奴隷。それによってうまれた異文化との交流が、やがて、その地に独自な文化をつくりだす。音楽を通して見えてくる世界はけっして文化や芸術といった狭いものにとどまらない。
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