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![]() ・ディランはデビューして半世紀近くになる。華々しく活動した時期と沈潜した時期を何度も繰りかえしてきているが、1975年は、その何度目かの活動期。「ローリング・サンダー・レビュー」と名づけたコンサート・ツアーを全米で行った。移動はグレイハウンドを改造した大型バスで、乗りこんだのは、ディランの他にジョーン・バエズ、ジャック・エリオット、ロジャー・マッギン、それにアレン・ギンズバークなどで、途中参加者はベッド・ミドラー、ジョニ・ミッチェル、それにモハメド・アリ………。 ・場所によっては何の予告もなしにいきなりコンサート、といった時もあったようだ。ひさしぶりに活動を再開したディランが次にどこに登場するか。会場に集まった人たちの興奮ぶりは想像に難くないが、まさに旅回りの音楽一座といった趣向で行われたコンサートは、なによりステージに上がる人たちが心の底から楽しんでいる。そのライブの様子は、同じブートレグ・シリーズで出されている1966年のロンドン公演(ロイヤル・アルバート・ホール)の殺伐とした様子とはまったく対照的である。 ![]() ・コンサートが行われたのはアメリカの北東部、マサチュセッツ、ニュー・ハンプシャー、コネチカット、そしてメイン州。ジャック・ケルアクの墓を訪ね、そこで歌い、ルービン・カーターの保釈を訴え、「ハリケーン」を歌う。今あらためてコンサートのライブを聴き、本を読みなおすと、このツアーの意図がよりはっきりしてくる。 ・ディランとその一行はこのツアーで自分たちのルーツを辿り直している。フォークソング、ビートニク、公民権運動、あるいはもっとさかのぼって、清教徒やソローを。自分の出自、アメリカの由来を見つめ直す。それは60年代の喧噪が沈静化して、あらためて詩作や音楽づくりをしはじめたディランの視線の向けどころであるし、ツアーに参加した人たちが共感したところだったのだと思う。 ・しかしまた、彼は現実にも目を向ける。元ヘビー級世界チャンピオンのボクサーで殺人罪で投獄されているルービン・カーターの保釈を求めること。ディランは事件のあらましを歌にした「ハリケーン」をつくり社会の目を向けさせ、その歌を熱っぽく歌う。このアルバムのなかでも、珍しく歌う前に曲の説明をするディランがいる。20年も投獄されたルービン・カーターは、翌76年の3月に再審を認められ保釈された。 ・ディランはこのあと78年にはじめて日本にやってきた。長年のアイドルとはじめて遭遇した僕の興奮は今思い出してもかなりのものだが、アルバムを聴きながら、そんな僕の70年代や60年代までも思い返してしまった。ちなみにこのホームページのタイトル『珈琲をもう一杯』もディランが75年に出したアルバム"Desire"におさめられた"One More Cup of Coffee"から借用したものだ。75年はディランが一番生き生きしていた時で、 "Bob Dylan Live 1975"を聴くと、そのことがよくわかる。 真っ赤な炎が耳に突き刺さって高く転がり・うん、まったくそのとおり。で、今でもディランは若い。他のミュージシャンの誰よりも。 |
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