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![]() そんな彼女の存在をぼくは92年にカナダ人の友人に教わった。ジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンが死に、エリック・クラプトンが立ち直る。ロック・ミュージシャンにありがちな運命を彼女も辿った。しわがれてけだるい声が彼女の苦悩と変節を語っているように感じられた。 バナナホールは行ったことがなかった。学生などに聞くと、オールスタンディングで、大学の教師(オジサン?)が行くところじゃないと言われた。しかし、テーブルと椅子があって、飲み物や食べ物があり、たばこも吸えた。彼女の歌を聴くにはいい場だなと思った。マリアンヌは黒ずくめのコスチュームで登場した。化粧の濃さがよけいに老けた感じに見えさせているようだった。バックはピアノ一台。クルト・ワイルの曲(ぼくはほとんど知らない)を中心に1時間あまり歌い、ひっこんだ。歌はうまいと思ったが、あまりいいとは思わなかった。何より気持ちが入っていないのが気になった。彼女にとっては文化も違い言葉も通じない極東の国の小さな場末のようなホールで歌うのは、どさまわり以外のなにものでもなかったのかもしれない。 アンコールに応えて「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を歌った。その1曲で、まあぼくは満足したことにしてもよかった。けれども、彼女はどうなのだろうか。ちょっと心配になってしまった。 |
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