村上春樹が創る世界の魅力は現実感のなさにあった。「鼠」にしても「羊」にしても、あるいは「ハードボイルド・ワンダーランド」にしても、それは主人公の内的世界に登場する人物や舞台だった。もちろん主人公にも現実感はない。彼にはいつでも家族と呼べるものはなく、仕事もないか、あってもほとんど描写されなかった。
村上の描く世界に変化が見えはじめたのは『ノルウェーの森』からだ。ここではじめて主人公が恋愛をした。次の『国境の南 太陽の西』では主人公はジャズ喫茶のマスターとして登場する。そして結婚していて、不倫をした。『ねじまき鳥クロニクル』ではまた主人公は失業していたが、結婚はしていた。そして奥さんが失踪する。しかし、この本を読んで一番違和感を感じたのは、井戸を降りて、そこから壁を通り抜けて行った先が満州のノモンハンだったことだ。しかも、そこでは時間も第二次大戦時になっていた。村上春樹の世界が少しずつ「現実感」を出しはじめてきた。そこに良い悪いの判断をする気は起こらなかったが、どうしてかな?という疑問は残った。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』のなかで村上春樹は、そのことを「コミットメント」と「デタッチメント」の二つの違いとして話している。
「考えてみると、68〜69年の学生紛争、あの頃から僕にとっては個人的に何にコミットするかということは大きな問題だったんです。.................ところがそれがたたきつぶされるべくしてたたきつぶされて、それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。...........」
村上春樹は1979年に『風の歌を聴け』で小説家としてデビューした。彼の描く物語はまさしく「デタッチメント」の世界だった。しかしそれは単に人びとや社会、あるいは現実との間に生じる「コミュニケーションの不在」を描き出しただけではない。それは同時に、それまで自分に付着し、あるいはつきまとっていた自分以外のものを取り払っていった後に残る個人的なものの確認の作業でもあった。けれども、他者や現実からデタッチすれば、それだけ自己の存在も希薄化する。自己は何より他人を通してこそ確認できる存在だからである。
村上春樹はつい最近まで8年ほど外国(ヨーロッパとアメリカ)で暮らしてきた。彼はそこで、「もう個人として逃げ出す必要がない」ことに気づいた。つまり、日本の外に出ることによって、個人として何か<誰か>にコミットする道に気づいたというのである。日本の中では「コミットメント」は同時に個人が集団に帰属することを意味する。そして個にこだわろうとすれば「デタッチメント」する他はない。外国にいると、個人として何かにコミットできるのでは、あるいはしなければと思うのだが、日本に帰ると何にどのようにコミットしたらいいのかわからなくなる。このような主旨で話す村上の感覚は、ぼくにも良くわかる。しかし、このような状況も、日本でもぼちぼち変わりはじめている。村上春樹はそんな気持ちで「地下鉄サリン事件」の被害者の言葉を聞き集める作業を思いたった。
『アンダーグラウンド』を読みながら気づいたのは、一つはスタッズ・ターケルの本に良く似ていることだった。ターケルの本はどれもが100人を越える人たちが語ることで作り上げた世界である。「仕事」や「戦争」、「大恐慌」や「アメリカン・ドリーム」、そして「人種問題」。それらはどれも、多様な人たちのさまざまな経験や考え、思いが交錯する、分厚い短編小説集のような仕上がりになっている。しかし、700ページを越える『アンダー・グラウンド』はきわめて単調で退屈である。同じ日の同じ時間に同じ地下鉄に乗り合わせた60数人の経験は、それが都心の職場に通う人たちばかりのせいか、どれも似通っている。だから、100ページも読み進むと、後はまたかといった思いがだんだん強くなってくる。要するに村上春樹の小説のようなおもしろさを期待すれば、たちまち放り出したくなってしまうものでしかない。
村上春樹はこの本の最後の章で、この仕事を考えた動機を「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか?」と書いている。実はこの点については、ぼくも読みながら興味を感じた。それは偶発的で異常な出来事に対して人々がとった行動と状況についての解釈、つまり「コミットメント」と「デタッチメント」の仕方といったことである。この本を資料にすれば、そのようなテーマで論文が一本書けるかもしれない。そんな感想を持った。しかし、それはまた『アンダーグラウンド』に登場する人々に「コミット」だけではなく「デタッチ」の姿勢も示さなければできない仕事のように思えた。
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