Book Review

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●最近読んだ本



突然の死

桐田克利『苦悩の社会学』(世界思想社)

  • 17日の朝、大学の研究室に着くと、メッセージのない留守電がいくつも入っていた。しばらくして僕のパートナーから電話が来た。「桐田さんが今朝亡くなったって。」「えー、何だって、どういうこと?」折り返し世界思想社の中川さんに確認して、やっと事態はのみこめたが、それでもまだ、まるで実感がない。しかし、葬儀には行かなければならない。勤め先の愛媛大学に電話をして会場を聞き、彼と親しかった人たちに連絡をする。そんなことで午前中の時間が慌ただしく過ぎた。会議も授業もキャンセル。飛行機と宿の予約。夕方の便で松山に出かけることにした。
  • 僕と彼は院生の頃からの勉強仲間で、E.ゴフマンやK.バーク等の難解な英語の文章を何年も一緒に読んだ。ゴフマンの "Frame Analysis" は600頁以上もあって読むのに2年もかかったが、彼がいなかったら途中でやめていたと思う。とにかく勉強一途の人で、読書と思索以外にはまったく関心がないという感じだった。日の当たらない彼のアパートに行くと、部屋には畳も見えないほど本が散乱していて、とても上がりこむ気にはならなかった。だからいつでも近くの喫茶店に誘った。
  • 彼の関心はコミュニケーションや人間関係における優劣の問題、それも劣位にある者の心情。例えば、自殺した少女の日記、いじめ、病いに苦しむ者………。そこに強くアイデンティファイしながら的確な分析を丁寧にしていく。そのまなざしはいつも優しさに溢れていた。書き上げたらもうおしまい。関心はまったく別のことに。といった僕の気まぐれさとは違って、彼は一度書いた文章を何度も書き直し、しかもそれぞれのバージョンを全て、フロッピーに保存していた。「書き直したら、前のなんていらないじゃない。」と言ったら、彼はまるで大切な宝物をけなされたかのように反論した。寡黙で頑なだけどおちょくるとムキになる、おもしろい人だった。
  • そんな彼の仕事は1993年に『苦悩の社会学』(世界思想社)となって出版された。売れそうにないけど、いかにも彼にぴったりの題名だと思った。その本を、僕は松山に持っていくことにした。何度も読んだ(読まされた)文章だが、もう一度読みたいと思った。飛行機嫌いの僕には、とても集中して読める状況ではなかったが、突然の死と重ねあわせると、また違った印象を受けた。
  • <健康>な人びとは、日常を自分の死の隠蔽のうえで生きている。「死ぬのは他者であり、私は死なない」。<生命あるものには終わりがある>ということは一般認識であるが、私たちの日常的意識はその認識に裏打ちされてはおらず。無限の生を生きるものとして感じている。
  • 死に対する現代の一般的態度が死の否定による生の肯定であるとすれば、重い病に直面した時、人はその態度のゆえに苦悩せざるをえない。自分の死の自覚は、もはや自分のいままでの形での生がありえないということを前提にしている。その不安を誰もが程度差こそあれ、経験するにちがいない。死は寂しさを伴う恐怖の対象として実感される。特に、働き盛りの時に病に陥る人びとはそうである。
  • 告別式の始まる前に奥さんの弘江さんとちょっと話した。絶えず流れ落ちる涙にはれあがった顔をしながらも、時折笑顔を浮かべて、彼女は状況を説明してくれた。桐田さんは夜間部の授業の最中に倒れた。脳溢血で、朝までさまざまな処置が施されたようだが、意識は一度も戻らなかった。授業が始まる前に「これから授業だ」と電話をしてきたこと。だから倒れたと言われても、大したことはないのでは、と思ってしまったたこと。もう少し健康状態について気にかけてあげたらよかったと反省していること。4歳になる流生(りゅうき)君が、最近、かっちゃんと言って、母親よりは父親に近づきはじめたことなどなど………
  • 僕が流生君にあったのは3年前、四国を車で回った時に高松の自宅を訪ねた。(→)
    まだ1歳の赤ちゃんで、桐田さんは遅すぎてやってきた「父親」という役割に戸惑い気味だった。学生や同僚たちの涙や虚脱したような表情でつらい雰囲気の会場にいる4歳になった彼に、この事態はどの程度認識されているのだろうか。僕は朝、ホテルを出て愛媛大学まで歩き、彼の研究室の前まで行った。主が突然にいなくなった部屋。授業に出かけたまま彼は2度と戻らない………
  • 桐田さんが本に書いたのは、病いや劣位の状況に追い込まれて苦悩する人たち。その愛憎の感情や夢と悪夢、希望と絶望の間を揺れ動く心の軌跡、失墜の闇が彼のテーマだった。なのに、彼は、そんな境遇に陥ることなくあっさりとこの世とおさらばしてしまった。彼が置いていったのは後に残された人たちの心の中の空白。「桐田さん、こんな死に方は君らしくないね。不器用なあなたには似つかわしくない格好いい結末」。もっとしぶとく生きて、もっともっと仕事をして欲しかった。読書と思索ばかりでなく、弘江さんや流生君との生活を楽しんだり、煩わしい思いをしたり、悩まされたり、苦しんだりしてほしかった。
  • でも、それは誰より桐田さんの希望だったのだと思う。まだまだ仕事ができたのに残念です。
  • ご冥福をお祈りします。

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