ポール・オースターの翻訳が続けて二冊出た。一つは『偶然の音楽』、もう一つは『ルル・オン・ザ・ブリッジ』。後者は映画も公開中である。ぼくはさっそく、二冊を買い求め、映画を見に出かけた。オースターにはいつもわくわくさせられてきたが、一度に二冊と一本というのだから、今回はまさに胸がときめく思いだった。で、その感想だが、本も映画も、その余韻がいつまでも消えないほどである。
『偶然の音楽』は幼い頃に別れた父親からの遺産を偶然手にしてしまう男、ナッシュの話。彼は赤いツードアのサーブ900を買って、行く宛のないドライブに出かける。13カ月間、13万キロ、アメリカ中を走り回ったところでギャンブラーのポッツィに出会う。そこで、富豪相手に遺産を全部かけたポーカーの大勝負に出る。すっからかんになったあげくに1万ドルの負債を抱え込む。富豪の提案は石壁を作る作業で返済というものだった。
石を積み上げる作業は時給10ドル。二人で毎日10時間働けば50日で終わる。重さが20キロ以上ある石を来る日も来る日も積み上げていく単調な作業。監視付きの隠蔽された空間、無為な仕事。約束が守られるという保証はあてにならないから、それは一生つづくかもしれない。けれども、ナッシュは直情的なポッツィをなだめながら、何か充実感を持ちはじめる。二人の間に確かに認められる友情、徐々に形をなしていく壁。
『ルル・オン・ザ・ブリッジ』はテナー・サックスを吹くジャズ・ミュージシャンが主人公である。演奏中に彼は、恋愛のもつれに動転した若者の撃った銃弾に当たってしまう。救急車で病院に送られ一命を取り留める。そこから物語がはじまる。
眉間を撃たれて倒れている男が持っていたのは光る石。それをくるんでいた紙に書いてあった電話番号に電話をすると若い女性が出た。訪ねていって二人でその石にさわると、えもいわれぬ至福感。二人は恋に落ちる。「あなたはマッチ、それともライター?」「君は本当の人間、それとも精霊?」「ぼくは君のために死んでもいい」女優志願のウェイトレスは映画の主人公「ルル」に大抜擢され、アイルランドにロケに旅立つ。男は石を渡し、後から行くと約束する。しかし、石を捜す一味に捕まり、倉庫に閉じこめられる。
男は石のありかを教えない。なによりそれは、彼女を幸福にする石だから。けれども、一味は彼女に迫り、追いつめる。女は橋から川に身を投げる。男はうまく逃げ出すが、女は見つからない。もう一度、冒頭の撃たれる場面。救急車で男が運ばれる。しかし途中で息絶える。救急車のサイレンがやむ。歩道を歩いていた彼女が、一人の人間の死を知る。
「リアル、それともイメージ?」。二つの作品に共通するモチーフ。遺産をもらった途端に消防士の仕事を辞める男。で13カ月間の行き先のないドライブ。遺産をかけた大博打。巨大な石壁を手作業でする作業。自由、幽閉感、達成感、そして友情。あるいは、ジャズ・ミュージシャンとしての仕事。流れ弾に当たる不幸。至福の石と天使のような女性。彼女が演ずるのは魔性の女「ルル」。自らを捨ててもその娘の未来に価値を見つけだす男。いったい「リアリティ」って何なのだろうと、あらためて考えさせられてしまう。「リアリティ」の不確かさ。それは最近では話題になった事件にお馴染みのテーマである。けれども、オースターの作品には、衝撃的な出来事から感じられるような殺伐さやおぞましさがない。本を読む間、映画を見る間に感じた至福の気持ち。しかし、これはやっぱりフィクションでしか感じられないものなのかもしれない。
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