Book Review

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●最近読んだ本



  • 9月に旧東ドイツのロックについての話を聞いたせいか、アメリカやイギリス以外の国のロックに対するアンテナが芽生えてきた気がする。いや正確に言えば、復旧したと言った方がいいかもしれない。たとえばソ連や東欧の崩壊とロックの関係については、すでにティモシー・ライバックの『自由・平等・ロック』、アルテミー・トロイツキーの『ゴルバチョフはロックがお好き』(いずれも晶文社)といった本が出ているし、アジアでもタイのカラワン楽団はずいぶん前から有名だった。
  • 20世紀の後半に生まれ世界中に広まったロックは、一方ではアメリカの音楽産業による世界制覇を可能にした武器という役割を担ったが、また他方では、大きな社会変動のなかで特に若い世代の表現手段として受け入れられるという顔も見せた。ぼくは60年代以降に発生したロックの新しい流れ、つまりパンクやレゲエやラップが、60年代のロックを支えた若者たちよりは社会のなかでの下層、あるいは後進国から生まれていることに注目している。ロックが世界を変えるといった考えに与するものではないが、20世紀後半にさまざまな国で起こった社会変動とロックの関係は、注目に値するテーマだと思っている。
  • で、実は中国については、前から気になってはいた。『北京バスターズ』という映画はおもしろかったし、そこに登場する崔健(ツイ・ジェン)が中国のロックの創始者であることは知っていた。けれども、それだけだった。今年大学院に中国人の留学生がきて、彼女が手に入れたCD、たとえば黒豹(ヘイ・バオ)や唐朝(タン・チャオ)、あるいはドゥ・ウェイなどを知って、ちょっとだけ関心が向きはじめていたのだが、ファンキー末吉の『大陸ロック漂流記』を読んで、その関心が一気に強くなった気がする。
  • 天安門事件が起こったのが1989年。「爆風スランプ」は1986年にアジア・ツアーをしているが、ファンキーは何の関心もなかったと書いている。しかし、1990年にたまたま友人にくっついていった北京で、非合法活動としてのロックに出会う。それが、後に中国を代表するロック・バンドになる黒豹だった。この本は、そんな中国人ロッカーたちとの10年近くに及ぶつきあいの物語である。
  • 爆風スランプは紅白歌合戦にも登場した売れっ子バンドである。その忙しいスケジュールの合間を縫って頻繁に中国に足を運び、時間と金をつかった理由は、一言で言えば熱いロックが生まれる状況に立ち会い、参加することへのいたたまれない衝動といったものかもしれない。実際ファンキーの爆風スランプの音楽、あるいはそれをもてはやす日本の音楽状況やファンに対する姿勢はきわめてシニカルなものである。彼は、音楽だけではなく、飲み屋やレストランまで作ってしまうほどのめり込む。
  • もう一冊『フェラ・クティ』はアフリカのナイジェリアで音楽をとおした反体制活動をしたフェラ・クティの話である。イギリスでクラシック音楽を学んだ彼の音楽は、ロックと言うよりはジャズに近い。しかし、歌われる内容は、ボブ・マーリーに共通した白人支配者に対する直接的な攻撃である。
    なぜ今日黒人は苦しむのだろう
    なぜ今日黒人には金がないのだろう
    なぜ今日黒人は月に到達できないのだろう
    奴らがやってきて土地を取り上げ、人びとを連れ去り
    俺たちから文化を取り上げ
    俺たちに理解できない奴らの文化を押しつけた。
  • フェラはその音楽だけではなく、積極的に反政府活動をした。自宅とその周辺をカラクタ共和国と名づけ、治外法権的なユートピアを作った。だからたびたび捜索を受け、1000人もの兵士による攻撃によって炎上もしている。1977年のことである。しかし、フェラの音楽や政治行動はますます先鋭化する。この本の作者であるマビヌオリ・カヨデ・イドウはフェラと10年間活動をともにした後、意見を異にして別れている。フェラ・クティは1997年にエイズで死んだが、イドウによればフェラの晩年は異端を排除する宗教の教祖のような存在だったようである。
  • フェラは欧米のアフリカ支配を批判したが、そのような意識に目覚めたのはアメリカの黒人たちの人種差別に反対する行動だった。そして中国のロックは開放政策への転換のなかで若者たちが飛びついた抵抗のための武器となった。最近では上海など大都市に住む若者たちの好む音楽はディスコで日本の小室の作るものが受けているそうである。ロックという音楽の本質がまた、かいま見えた気がした。


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