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●最近読んだ本 |
2月1日 |
加藤典洋『村上春樹はむずかしい』岩波新書 内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング |
![]() ・『職業としての小説家』は、小説家としてデビューする前から現在までの道程をふり返り、小説を書くことや小説家であること、文学賞や批評に関することなどについて、けっして激しくはないが確信的な口調で語っている。芥川賞を取れなかったこと、ノーベル賞に毎年名前が挙がっていることは、彼にとってはどうでもいいことなのに、周囲の騒がしさにはうんざりさせられているようだ。文壇とはつきあわないし、何度も外国暮らしをしている。その距離の持ち方は徹底している。 ・小説家には誰でもなれる。学校で勉強する必要がないし、訓練して資格を取ることが義務づけられているわけでもない。少しばかりの才能があれば、誰にでも小説のひとつぐらいは書くことができる。それが特に優れたものであれば、文学賞を獲得することもある。しかし、その後小説家として作品を出し続けるためには、才能だけでは足りない。不断の努力はもちろんだが、書くことについての好奇心を持続させることが必要で、それを実行できている小説家は芥川賞を取った者でも、ごく一部に過ぎない。文学という世界に対する謙虚だけれど辛辣な批判だと思った。 ・僕は社会学やコミュニケーション論、あるいは現代文化論などをテーマにしている。研究者になるためには作家と違って大学で勉強する必要があるし、学位といった資格を取る必要もある。しかし、おもしろい仕事をするためには、ミルズが言った「社会学的想像力」のようなある種の才能が必要だし、対象に対して好奇心を持ち続ける持続力も不可欠だ。そのような意味で、物書きとして共通する要素も多いと言える。もっとも「文学的想像力」に欠けている僕には小説など書くことはできない。 ![]() ・村上春樹は文学的には評価できないが、大衆受けするベストセラー作家である。日本の文学の世界ではずっとこのように評価されてきた。ところが、世界中で彼の小説が読まれるようになり、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がるようになって、そんな批判が影を潜めるようになった。しかし、村上春樹の成功にあやかろうとするような論評はあっても、文学的に再評価しようとする動きはあまり見られない。 ・村上春樹は近現代の日本文学の異端者である。それは村上本人が自覚し明言していることで、実際、彼の小説の魅力は、それまで多くの作家が戦ってきた日本のローカリティに対して、最初から離脱してしまうという位置づけにあった。それが村上批判の根本だが、だからこそ、世界中に多くの読者を持つことにもなったのだと言える。ところが加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることなのである。 ![]() ・内容的にも文体的にも、日本のローカリティやそこに立つ近現代文学から「離脱」(デタッチメント)する。そんな姿勢から「関わり」(コミットメント)に変わったのは阪神淡路大震災とオウム事件がきっかけだった。また東日本大震災と福島原発事故についても、折に触れて発言をしている。そんな変化が、小説の中でどのように現れているのか。もう一回、村上春樹の小説をすべて読み直してみようか、という気になった。 |
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