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●最近読んだ本 |
9月01日 |
![]() ![]() ・妻のある男と不倫の関係にあった娘達のリーダーが、その妻を魔女だと言いふらした。他にも疑われる女が続出するのだが、その名指しの裏には、村の人間関係のなかで生じた金銭や土地、あるいは家畜を巡るトラブルや、妬みや嫉妬があって、村は大混乱に陥った。牧師や判事、そして副知事などが介入して、大がかりな裁判が行われ、大勢の人が死刑になった。魔女ではなく魔女に操られたと告白すれば許されたのだが、処刑された人たちは、嘘をつくことをためらい、拒絶した。熱心で善良なキリスト教信者であればこその行動だった。 ・『るつぼ』は1950年代に発表されている。当時のアメリカはマッカーシー上院議員に扇動された「赤狩り」で、多くの著名人が疑われ、投獄されていて、著者のミラーもまた疑われた。この作品は、そのような出来事を批判するものとして読まれたが、このような事態はいつでもどこでもくり返して起きたことだから、昔どこかで起きた特異な出来事などではない。これは、集団内に不満や鬱憤が充満している時に、そのはけ口として発生し、権力者に利用される「スケープ・ゴート」という現象に他ならない。 ・僕はこの脚本を読んだ時に、ユダヤ人狩りをしたヒトラーや、9.11直後のブッシュを連想したし、現在の安倍政権にも当てはまると思った。で、その芝居を、怖さに引き込まれるように感じながら間近で見て、その気持ちが薄れる前に、もう一度読み直した。なぜ今、反中や反韓の気運が蔓延し、朝日新聞がことあるごとに批判されるのか。一番の原因は批判される側よりは、批判する側が抱える不満や鬱憤のなかにこそある。そしてその不満や鬱憤の原因事態を探すのではなく、その捌け口を見つけて、そこに感情的にぶつける行為にこそある。 ![]() ・50年代のアメリカは未曾有の好景気に沸いたアメリカの黄金期と言われる時代だった。しかし、反面、自営の商店主や農場がつぶれて、大きな企業が出現して、多くの人たちがそこに勤めることが当たり前になった時代でもあった。家電やクルマ、郊外の住宅などが爆発的に売れる時代で、セールスマンはそんな状況を象徴する仕事だったが、それゆえにまた、能力主義が幅をきかす世界でもあった。 ・二つの芝居はもちろん、日本でも民芸などで上演されたことがある。その時にどのように受け取られたかはわからないが、今この時期にロンドンで上演され、毎日満員になっていることに、日本の文化状況との違いを感じた。日本が置かれた現状や、そこで生きる自分と直接向き合うのではなく、それとは無関係な虚構の世界に紛れ込んで、現実をなかったことにする。それはもちろん、音楽などの傾向にずっと昔から感じ取っていたことだが、そんな思いを一層強くした経験だった。 |
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