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メディアのミクロ社会学

1989年(筑摩書房)


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 《序》メディアのフレイム
 メディアへの関心 マクルーハンから 拡張と縮小
 結合と分離 メディア、扉と窓 メディアのフレイム
 メディアのパースペクティブ マルチメディアとマルチ人間

 《1》電話のコミュニケーション
 忘れられたメディア 電話のベルが鳴る 電話の儀礼
 ことばの演技 電話のような関係、電話のような私

 《2》書くことと自己
 書くことの意味 日記 手紙
 ミニコミ ニューメディアとリテラシー

 《3》行為としての写真
 視覚と四角 撮る 撮られる
 見る 見られる 写真からビデオへ

 《4》テレビの相互作用
 テレビのメタファー テレビに映る世界、テレビを見る世界
 タテとヨコのコミュニケーション 対面的な関係としてのテレビ
 覗きとしてのテレビ 傍観、立ち聞きとしてのテレビ
 最大の現存、最大の不在

 《5》オーディオ・メカのミクロコスム
 聴く音、浴びる音 ラジオの変容 孤立と連帯
 イメージと聴取経験 サブメディアとしてのラジオ
 ウォークマンと「儀礼的無関心」ウォークマンのレトリック
 オーディオ・メカのミクロコスム

 《6》読む世界
 活字のコミュニケーション 行為としての読書
 本、もうひとつの「世界」 新聞、「世界」の縮図
 雑誌、「世界」のカタログ 読むことの変質

 《終》リアリティの行方
 メディアと「世界」 メディアとリアリティ感覚
 メディアと自己意識 リアリティの行方

 《後書き》

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2009年02月06日 15:30に投稿されたエントリーのページです。

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