・ジョン・プラインはもう70歳を過ぎている。"The Tree of Forgiveness"のジャケットには、ご覧のように禿げあがって頬のたるんだ彼の顔が大写しになっている。裏は長年使ってぼろぼろになったギターだから、知らない人ならとても買う気にはならないだろう。実はぼくも買うかどうか迷った。何しろ彼は下のデビュー・アルバムのジャケットのように、格好いい好青年だったのである。しかし、昔からなじみがあって、あまり歳の違わないミュージシャンは、やっぱり買うべきだ。何しろ、引退したり、死んでしまったりする人がたくさんいるのだから、現役のうちはつきあわねばと思った。そう言えば、ぼくが持っているプラインのアルバムは、昨年出た"For better or Worse"を除けば、70年代のものばかりだった。
・ジョン・プラインは1971年にデビューしている。しかしぼくが彼を知ったのはベット・ミドラーが歌ってヒットさせた「ヘロー・イン・ゼア」の作者であることを知った時からで、もうレコードがCDに変わってからだった。「ヘロー・イン・ゼア」が子どもを育て、年老いた夫婦を歌ったものであるように、彼の作る歌にはどれも物語があり、ベトナム戦争に反対するなどメッセージ性も強かった。ギター一本であまりバックもつけずに淡々と歌う曲を、ぼくは通勤途中の車の中で良く聴いた。
・"The Tree of Forgiveness"には、この名のついた曲はない。「寛容の木」とか「ご勘弁、あるいは、ごめんなさいの木」といった意味だろうが、これは「ぼくが天国に着く時」というアルバムの最後に収められた曲の中に出てくるナイトクラブの名前である。彼はそこで神様と握手をして、ギターを持ってロックンロールをやる。酒を飲み、かわいい娘とキスをし、ショウ・ビジネスを始める。そんな歌である。どの歌も主人公は老人になった彼自身で、先だった仲間を歌い、妻に限りない愛を求めたりする。多くの歌は共作で、フィル・スペクターなんていう懐かしい名前もある。バックでコーラスするのはパートナーのフィオナ・プラインの他にブランディ・カーライルなどがいる。
・つねに自然体。一人の自由な姿勢をくずさない。そして、時代の気温を親しい旋律にとどめて、ひとの体温をもつ言葉をもった歌をつくる。ほんとうに大事なものは何でもないものだ。かざらない日常の言いまわしで、なかなか言葉にならないものを歌にする。(長田弘『アメリカの心の歌』岩波新書)
・だから、今の自分の素顔を正面から写し出す。ディランもスプリングスティーンも一目置く希有なフォークシンガーだが、だからこそ格好もつけず、驕りもせず、隠しもしない。こういう人が元気でいるのは、アメリカにとって数少ない一つの光明と言える。もちろんぼくも、こうありたいものだとつくづく思った。