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2006年11月 アーカイブ

2006年11月01日

『ファイル・アンダー・ポピュラー』クリス・カトラー(水声社)ほか

『ファイル・アンダー・ポピュラー』クリス・カトラー(水声社)ほか
『ラスタファリアンズ』レナード・E・バレット Sr.(平凡社)
『ヒップ・ホップ・ビーツ』S.H.フェルナンドJr.(ブルース・インター・アクションズ)

・最近アメリカとイギリスを中心にして、ロックをテーマとした文化研究が盛んに行われている。特に顕著なのは「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれる動きだが、クリス・カトラーは学者ではなく、ミュージシャンである。

・読んで第一に感じた印象はというと、共感と違和感が半々といったものだ。この本が書かれたのは1985年である。僕が感じた印象の原因はなにより翻訳されるまでに11年という時間が経過していることにあるようだ。つまりこの間のポピュラー音楽やメディアの状況、あるいはそれを受けとめる人々の感性や態度の変化が大きかったということである。

・この本の作者は、かなりラディカルな音楽観を持ったミュージシャンである。「ロック」という音楽を何より表現手段、とりわけ政治的主張や前衛的な芸術を創る場と考えている。サイモン・フリスが指摘するように、このような考え方は70年代までは、多くの人に支持されるものだった。「ロック」が音楽産業はもちろん、ミュージシャンにとっても金のなる木として認識されたのは、60年代の後半だった。それが70年代になるとますます顕著になり、80年代になると評価の対象がそこだけのようになった。

・カトラーはこの本のなかで、そこに抵抗するためにはどうするかを真剣に考えているが、その態度は一言でいえば、「オーセンティック」な音楽を追求するということになる。しかし、そのような動きが大きな影響力を持つことは、現実にはなかった。とはいえ、ロックが商品価値以外の何も持たないしろものに変質してしまったかといえば、またそうではない。

・ロックの新しい流れは70年代後半からレゲエやラップ、あるいはヒップ・ホップのように第3世界やアメリカのマイノリティの中から生まれはじめた。カトラーはコンピュータ技術の音楽への導入についても否定的だったが、ラップやヒップ・ホップはデジタル技術なしには考えられないスタイルである。

・『ラスタファリアンズ』はレゲエという音楽が生まれてくるジャマイカの現実を教えてくれるし、『ヒップ・ホップ・ビーツ』はアメリカ社会におけるマイノリティの日常を垣間見させてくれる。もちろん、音楽産業は、そのような新しい流れをあっという間に商品として取り込んで、うまい商売をしてしまうし、白人ミュージシャンもそのエネルギーに触発されて、息を吹き返す。

・カトラーは題名でもわかるように、キイ・タームを「ポピュラー」に求めている。芸術や文化を「ハイ」や「ロウ」、あるいは「フォーク」や「マス」ではなく、「ポピュラー」としてとらえる視点、それは簡潔にいえば、従来の基準を取り払ってすべてをいっしょくたにしてしまうものであり、また、希望と絶望の両方を同時に感じさせるような特徴を持っている。そこに重要性を感じながら、また彼はそこに苛立つ。もしもう10年早く僕がこの本を読んでいたら、たぶん彼の姿勢にはるかに強い共感を感じただろうと思う。 (1997年3月15日)

2006年11月07日

ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』(白水社)

・「エレベーター・ミュージック」というのは聞き慣れないことばだ。エレベーターに音楽なんてあったかしら?そんなことを考えながら、この本を手にした。中身は BGMの歴史といった内容だった。おもしろそうな感じがして買って読んだが、BGMがこんなに多様な世界を作り出してきた(いる)ことに改めて驚かされた。

・クラシックは精神を集中させて聴く音楽だ。だから、コンサートでは物音一つたてられない。ロックは聴衆が一緒になって手をたたき、躍り、歌う。リラックスはしているが、やっぱり、心も身体も音楽に向かっている。そして、音楽の聴取とは、普通、このような聞き方を指す。けれども、それ以外に、僕たちはいろんなところで、いろんな音楽を聴く、あるいは聴かされている。

・ BGMの歴史は電話を使った有線放送に始まる。だから、この本はラジオとレコードに始まる音響メディアの歴史書だといってもいい。サーノフが作った家庭用のラジオ受信機は、はじめは「ラジオ・ミュージック・ボックス」と名づけられた。ある意味では、電話もラジオも音楽を聴くために考案されたということになるようだ。映画がトーキーになると映画音楽というジャンルが生まれた。映画にとって音楽はあくまで背景だが、それによって観客は、物語により没入しやすくなった。やがて職場や公共の場所に音楽が侵入しはじめる。仕事の効率、公共の場での秩序の維持、あるいはちょっとした心の平安、そして騒音の隠蔽.........。

・20世紀になって日常生活のなかに侵入しはじめた音楽は、一方では、人びとの気持ちをリラックスするものとして受け入れられたが、同時に、人びとを管理統制する道具としてもみなされた。公共の場での音楽は、そこに集う人びとのためにあるのか、あるいは、人びとをコントロールしようとする人間のためにあるのか。これは、BGMについて最初からついてまわる議論だが、そのような論争は現在にまで持ち越されている。

・BGMは、さまざまな社会的場面の背景を色づける。特に関心を持って聴くことはないが、否応なしに誰の耳にも入る。ユニークさというよりは最大公約数、味わいというよりは耳障りの良さを心がけて作られる音楽だ。だから、音楽としての評価を受けることはほとんどない。というよりは、音楽に関心のある人には、必ず軽蔑される種類の音楽だと言っていい。けれども、サティが「家具の音楽」と言ったときには、そこには、かしこまって聴くだけが芸術だとするステレオタイプ的な音楽観に対する批判が強くあった。

・20世紀の後半になるとテレビが登場し、若者たちの騒がしい音楽であるロックンロールが生まれた。街にはさまざまな新しい空間が作られ、駅や空港などが巨大化した。そのような場は放っておけば、たちまち騒音が渦巻く空間になってしまう。あるいは音のない、気づまりで気味の悪い時間を作り出しかねない。だから、一定のコンセプトにもとづく音づくりが必要になる。「エレベーター・ミュージック」「ミュージック・フォア・エアポート」。もちろん、音楽による空間の演出は、プライベートな場においても例外ではない。ラジオ、ステレオ、CDラジカセ、そしてカー・ステレオやウォークマンによる好みの音楽世界の持ち運び。

・映画やテレビ・ドラマの世界にはいつでも音楽が流れている。そして、現在では、日常生活の中にどこでも、いつでも音楽が流れていることが自然になった。であれば、なおさら、音のデザインが必要になるはずだ。そんなふうに考えていたら、ふだん乗るエレベータにも音楽がほしくなった。 (1999.5.22)

B.バーグマン、R.ホーン『実験的ポップミュージックの軌跡』(勁草書房)

・たとえば、音楽のジャンルを「芸術」「ポピュラー」「民俗」といった枠で分類する考え方がある。「芸術」とはいわゆるクラシック音楽と呼ばれる分野だが、ここにはもちろん、比較的新しい前衛音楽もふくまれる。一方「ポピュラー」は主にマス・メディアの発達の中で生まれた音楽をさし、典型的にはジャズやロックなどがある。この二つの音楽のちがいは、もちろん聞けばすぐわかるものとして考えられている。けれども、最近の音楽の傾向としては実際には、二つのジャンルの境目はますます曖昧になってきているようである。

・ B.バーグマン、R.ホーンの『実験的ポップミュージックの軌跡』には、さまざまなミュージシャンが紹介されている。あまりに数が多すぎて、その分、個々にはカタログ的な簡単な記述しかないという不満が残らないわけではない。けれども、この本を読むと、60年代のロック登場以降の音楽、とりわけ「芸術」と「ポピュラー」の前衛的な流れがよくわかる。

・ 一方に、シュトックハウゼンやジョン・ケージといった人に代表される現代音楽の流れ、そしてもう一方にプログレッシブ・ロックやパンクからの流れがある。この二つを最初から、そして現代においても峻別しているのは、学校で学んだ音楽かそうでないかのちがいだけだろう。だから、サウンドではうまく区別がつけられない音楽も、それを作り演奏している人に採譜の能力があるかないかを確かめれば、一目瞭然になってしまう。逆に言えば、楽譜が書けるとか読めるといった能力(技術)は、音楽作りや理解にとって必要不可欠なものではないということになる。

・「芸術」は何らかの予備知識なしにはわからないものとして考えられてきた。一定の評価を与えられた作品には、またそれなりの聴き方、解釈の仕方があって、それにしたがうことではじめて、その作品を理解できるのだという前提があった。他方で、「ポピュラー」は何より大勢の人に楽しまれることを第一の目的として作られてきた。独創的で難解な音楽と、画一的でわかりやすい音楽。そのちがいがまるでベルリンの壁のように崩壊してしまっている。この本は80年代以降の音楽の特徴を、何よりそこに見ているのである。

・けれども、この本の作者は、一見融合してしまったかのように聴こえる音楽の中に、楽譜の読み書き以外のちがいも見つけだしている。たとえば、「コマーシャリズム」に対する姿勢のちがいである。ロックはビートルズやローリング・ストーンズ以来、自分の音楽が商品として売られ、巨額のお金をもたらすことにさほどの抵抗感を持ってこなかった。だから「ポップ」には、何より、たくさん売れて、大勢の人に好まれて、なおかつ新しさやユニークさを持った音楽というニュアンスがずっとふくまれてきた。前衛的な実験音楽を志向する人たちには、この点について二律背反的なジレンマがあるという。「ポップ」は好きだが「ポップ」にはなりたくないというわけだ。

・こんな話を読んでいると、僕はついついスポーツにおけるプロ化の波とアマチュアリズムの問題にダブらせて考えたくなってしまう。プロを目指す人は何より名声とお金を重視する。サッカーにしてもバスケットにしても、プロ選手になることはどん底の世界から身を立てる数少ない可能性の一つになっている。それはたぶん音楽でも同じだろう。レゲエ、パンク、ラップとそのことを裏付ける音楽の流れを指摘するのはむずかしくない。だから、一流の才能を持ちながら、アマチュアリズムにこだわる姿勢には、ある種の貴族主義的なニュアンスを感じてしまう。そう考えると、同じようなサウンドを志向しながらも、個々にはやっぱりまだまだ大きな壁が残されていると感じざるを得ない気になってくる。 (1997.11.3)

栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)

・今一番行ってみたいのはアイルランド。そんなふうに思わせる本を2冊読んだ。ぼくにとってのアイルランドへの関心のきっかけはもちろん、ヴァン・モリソンやU2だが、紛争の絶えないぶっそうなところだから、行きたいなどとはちょっと前まで考えもしなかった。映画の『父の名において』とかNHKのドキュメントで見る限り、のんびり旅行者が出かけるようなところではない気がしていた。

・イギリスのブレア首相とIRAとの間で平和協定が結ばれた。少しは安全になったのかなといった程度のものとして考えていたが2冊の本を読んで、ずいぶんちがった印象をもった。一つは栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)である。

・仲間とパブへくりだしたばあい、あるいはその場で知り合ったどうしが三、四人で飲んでいるとしよう。ぼくの目のまえのグラスが空に近くなると友人のひとりが「もう一杯やるかい」とたずねてくる。こうたずねるのがエチケットだからだ。ぼくが「イエス」と答えると、彼はほかの友人たちにも同じことをたずね、バーまで立っていき、みんなの飲み物を買ってくる。次は誰か別の人物の番だ。………結局はおごりっこを順番にしながら、誰も損も得もしないことになっているのだ。

・このようなパブでの儀礼を「ラウンド」と呼ぶらしい。この本の最初のところで、著者はパブで隣り合わせた老人に「アイルランドでは宗教改革も産業革命も経験しておりません。近代化はついこのあいだはじまったばかり。ダブリンは都市に見えるかもしれませんが、じっさいは巨大な村ですよ。」と言われるたと書いている。『アイルランドのパブから』は、そんな巨大な村にいくつもあるパブで出会った人びとや人間関係や音楽、そしてもちろんギネス・ビールについての本である。著者はそれを「声の文化」と呼んでいる。知らない者どうしがすぐに知り合いになって、ビールをおごりあい、いつの間にかはじまる音楽に耳を傾け、一緒に歌う。アイルランドはまさにフォーク音楽が生きている世界である。ぼくは酒に強くはないし、ことばだって不安だ。それに、人見知りが激しいから、パブで知らない人と一緒にうち解けることはできそうもない。けれども、何となくいいなーと感じてしまうのも確かだ。

・しかし、アイルランドは一方では辛酸をなめ続けた歴史をもった国でもある。ノルマン人やヴァイキングの侵入、イギリスによる支配、 19世紀の中頃に起こった飢饉とアメリカへの移民によって、人口が一挙に3割ほどに減ってしまうという時代も経験している。中等教育が義務教育として制度化されたのがやっと60年代になってから、そして経済的な発展が本格化するのは、初の女性大統領メアリ・ロビンソンが登場してからである。

・もう一冊の本『アイリッシュ・ミュージックの森』には最近のアイリッシュ・ミュージックについての記述が詳しい。ぼくはそのほとんどのミュージシャンや音楽を知らないが、次のような話には思わず、うなってしまった。

・ 1922年にアイルランドが独立したとき、政府は独立を支える文化的支柱を必要としたが、そこで使われたのはアメリカから輸入されたSP盤の伝統音楽だった。
・アメリカからのSP盤がほぼ全国的に伝統音楽のかたちを統一するほどの影響を及ぼしたのは、そこに録音されていた音楽が並外れて質の高かったものであったそのほかに、まずそれがすべて善きものの源泉アメリカからの到来そのものであったためであり、二つ目には教会の弾圧によって音楽の名手はみなアメリカに行ってしまったという残った人びとの劣等感が裏書きされたからだろう。

・さらに、アイリッシュ・ミュージックが一層盛り上がるのは、ロックンロールの流行と、その世界でのアイルランド出身のミュージシャンたちの活躍が引き金になる。このような経過を指摘しながら、著者はアイリッシュ・ミュージックを昔ながらの様式や素材に固執した伝統音楽ではなく、むしろ時代の流れに敏感に呼応するところから再生した音楽だと言う。「周縁ゆえに、辺境ゆえに伝統は『近代』の侵攻をこうむらず、その力を温存してきた。時を得て、伝統は『近代』のシステムを逆用し、新しい存在として生まれ変わる。」

・ぼくはこの本で紹介されているCDがたまらなくほしくなった。またTower Recordで散財してしまいそうだ。 (1998.10.14)

2006年11月10日

マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ』(晶文社)ファンキー・末吉『大陸ロック漂流記』(アミューズ・ブックス)

・9月に旧東ドイツのロックについての話を聞いたせいか、アメリカやイギリス以外の国のロックに対するアンテナが芽生えてきた気がする。いや正確に言えば、復旧したと言った方がいいかもしれない。たとえばソ連や東欧の崩壊とロックの関係については、すでにティモシー・ライバックの『自由・平等・ロック』、アルテミー・トロイツキーの『ゴルバチョフはロックがお好き』(いずれも晶文社)といった本が出ているし、アジアでもタイのカラワン楽団はずいぶん前から有名だった。

・20世紀の後半に生まれ世界中に広まったロックは、一方ではアメリカの音楽産業による世界制覇を可能にした武器という役割を担ったが、また他方では、大きな社会変動のなかで特に若い世代の表現手段として受け入れられるという顔も見せた。ぼくは60年代以降に発生したロックの新しい流れ、つまりパンクやレゲエやラップが、60年代のロックを支えた若者たちよりは社会のなかでの下層、あるいは後進国から生まれていることに注目している。ロックが世界を変えるといった考えに与するものではないが、20世紀後半にさまざまな国で起こった社会変動とロックの関係は、注目に値するテーマだと思っている。

・で、実は中国については、前から気になってはいた。『北京バスターズ』という映画はおもしろかったし、そこに登場する崔健(ツイ・ジェン)が中国のロックの創始者であることは知っていた。けれども、それだけだった。今年大学院に中国人の留学生がきて、彼女が手に入れたCD、たとえば黒豹(ヘイ・バオ)や唐朝(タン・チャオ)、あるいはドゥ・ウェイなどを知って、ちょっとだけ関心が向きはじめていたのだが、ファンキー末吉の『大陸ロック漂流記』を読んで、その関心が一気に強くなった気がする。

・天安門事件が起こったのが1989年。「爆風スランプ」は1986年にアジア・ツアーをしているが、ファンキーは何の関心もなかったと書いている。しかし、1990年にたまたま友人にくっついていった北京で、非合法活動としてのロックに出会う。それが、後に中国を代表するロック・バンドになる黒豹だった。この本は、そんな中国人ロッカーたちとの10年近くに及ぶつきあいの物語である。

・爆風スランプは紅白歌合戦にも登場した売れっ子バンドである。その忙しいスケジュールの合間を縫って頻繁に中国に足を運び、時間と金をつかった理由は、一言で言えば熱いロックが生まれる状況に立ち会い、参加することへのいたたまれない衝動といったものかもしれない。実際ファンキーの爆風スランプの音楽、あるいはそれをもてはやす日本の音楽状況やファンに対する姿勢はきわめてシニカルなものである。彼は、音楽だけではなく、飲み屋やレストランまで作ってしまうほどのめり込む。

・もう一冊『フェラ・クティ』はアフリカのナイジェリアで音楽をとおした反体制活動をしたフェラ・クティの話である。イギリスでクラシック音楽を学んだ彼の音楽は、ロックと言うよりはジャズに近い。しかし、歌われる内容は、ボブ・マーリーに共通した白人支配者に対する直接的な攻撃である。


なぜ今日黒人は苦しむのだろう
なぜ今日黒人には金がないのだろう
なぜ今日黒人は月に到達できないのだろう
奴らがやってきて土地を取り上げ、人びとを連れ去り
俺たちから文化を取り上げ
俺たちに理解できない奴らの文化を押しつけた。


・フェラはその音楽だけではなく、積極的に反政府活動をした。自宅とその周辺をカラクタ共和国と名づけ、治外法権的なユートピアを作った。だからたびたび捜索を受け、1000人もの兵士による攻撃によって炎上もしている。1977年のことである。しかし、フェラの音楽や政治行動はますます先鋭化する。この本の作者であるマビヌオリ・カヨデ・イドウはフェラと10年間活動をともにした後、意見を異にして別れている。フェラ・クティは 1997年にエイズで死んだが、イドウによればフェラの晩年は異端を排除する宗教の教祖のような存在だったようである。

・フェラは欧米のアフリカ支配を批判したが、そのような意識に目覚めたのはアメリカの黒人たちの人種差別に反対する行動だった。そして中国のロックは開放政策への転換のなかで若者たちが飛びついた抵抗のための武器となった。最近では上海など大都市に住む若者たちの好む音楽はディスコで日本の小室の作るものが受けているそうである。ロックという音楽の本質がまた、かいま見えた気がした。 (1998.12.02)

M.コステロ、D.F.ウォーレス『ラップという現象』(白水社)ジョン・サベージ『イギリス「族」物語』(毎日新聞社)

・音楽と若者の風俗の変遷は、50年代のアメリカ以来、ずっとくり返されている現象だ。今はなんといってもラップとヒップ・ホップ。発信源はニューヨークのハーレムだが、音楽にかぎっていえば、ここ数年はグラミー賞を総なめするような勢いで、日本でも、ちょっとそんな雰囲気を感じさせる宇多田ヒカルが奇妙なほど受けている。理由は日本人離れしたリズム感とかつての演歌の女王・藤圭子の娘であることらしい。

・『ラップという現象』は1990年に出版されている。翻訳が出たのは去年(98)だから、そこには10年近いタイム・ラグがある。しかしそれだけに、まだまだマイナーな音楽だったラップがもっていた魅力や毒についての記述があって、ぼくはとてもおもしろいと思った。たとえば、次のような文章。


「たとえ僕らの外側の世界のできごとではあっても、僕らに十分感じとれる生身の人間の生きざまの真剣な表現」
「シリアスなハード・ラップを通過することで、白人市民も鬱積し破裂せんとするアメリカの都市内奥部のコミュニティが直面する、生/死の苦悶をダイレクトに知ることができる。」


・ラップは「黒人のあいだで完結した、白人にとって<他者>である音楽」として生まれ、存在し続けてきた。それは何よりアメリカが人種によって分離されてきた国だから生じた特徴で、「公民権運動」の過程で強く批判されたところだが、この本の著者たちは、ラップがパワーをもった音楽になりえたのは、黒人たちがその「円環」のなかに閉ざ」されてきたからだという。

・ラップは基本的には、早口でまくし立てることば(しゃべる歌詞)とサンプリングによって作られたリズムで成りたっている。セックス描写、金やモノに対する欲望、そして白人攻撃......。そのあまりに露骨なことばに白人たちは嫌悪感をもつが、同時に、そのリズムにはからだを反応させてしてしまう。怖さや気持ち悪さの感情を持ちながら、同時に窓の外からのぞき込みたい衝動に駆られるできごと。

・若い黒人たちにとってもラップは単に自己表現の音楽というだけではない。それは何より金や名声を得るための手段である。だから誰もが、メジャーのレコード会社と契約し、マスコミに取り上げられ、人種の垣根を越えて、自分の歌がアメリカ中や世界中でヒットすることを夢見ている。光の当たった「ポップ」の世界を否定しながら同時に、「ポップ」の舞台に登場することを目指す音楽。

・ラップにまつわる「アンビバレント」な要素はまだまだある。たとえば、きわめて単純で無骨にすら思える歌詞とデジタル技術を駆使した音づくりなど。それは何よりラップが90年代になってポップの1ジャンルとして確立していった理由の一つだが、同時にポップの歴史の中ではまた、それぞれの特徴に見られる「アンビバレント」な側面というのが、新しい現象が生まれたときには必ず見られた大きな特徴でもあった。たとえば、50年代に登場した黒人の R&Bとそれを模倣した白人のロックンロール、あるいは60年代のロック、そして70年代のパンクやレゲエ。

・もう一冊『イギリス「族」物語』は、60年代から70年代にかけてイギリスに登場した若者のサブカルチャー、たとえば、「テディ・ボーイ」「モッズ」「ロッカーズ」「スキンヘッズ」「グラム」、そして「パンク」などを取り上げている。上野俊哉が解説で書いているように「戦後のイギリスにおけるサブカルチャーのスタイル、風俗、身ぶり、儀礼的な慣習行為の細部」を丹念に追った本であることはまちがいない。しかし、読んでいて、S.フリスや D.ヘブディジが必ず問題にする「階級」という視点がないのがもの足りなかった。これでは、風俗の詳細はわかってもそれぞれの関係の社会的背景は見えてこない。

・学生とつきあっていると今のはもちろん、時折、60年代や70年代の若者のサブカルチャーに関心をもつ学生が現れる。で、その理由を聞くと、というより問いつめると、結局好みの問題として逃げられてしまうことが多い。ぼくはそんなときに、単にサウンドやファッションだけでなく、自分が生きている社会との状況の違いまで理解してほしいと思ってしまうが、そのために役に立つ本はまだまだ豊富だとはいえない。(1999.4.20)

田家秀樹『読むJ-POP』徳間書店

・僕は日本のポピュラー音楽はほとんど聴かない。特に最近はそうだ。だから、Grayが20万人集めたとか、誰それがドームをいっぱいにしたとかいわれても、何のことやらさっぱりという感じでいる。もちろん何人かの気になるミュージシャンはいて、その人たちのCDは買ったりしているが、はっきり言って、聴くにたえるものがほとんどないと思っている。それが、最近「J-POP」なることばをがよく使われ、佐藤良明の本が話題になりはじめた。いったい「J-POP」とは何か?

・国産のポピュラー音楽はずっと、洋楽と区別して「和製ポップス」と呼ばれてきた。「ポップス」は「ポップ」の複数形だが、これは和製英語で、日本以外では使われない。なぜ日本人が複数形にして使ったのか。いきさつはわからないが、POPが意味するものとはちょっと違うという気持ちがあったのかもしれない。実際、ビートルズから派生したGS(グループ・サウンド)にしても、フォークやロックから転じた「ニュー・ミュージック」にしても、基本的には何かのコピーで、よく言えば日本風のアレンジをしたものだが、要するにほとんどは模造品にすぎなかった。どんなサウンドが流行しても、はやる音楽をつくるのはその都度数人の売れっ子作曲家や作詞家、あるいはアレンジャーで、生まれるというよりはつくられる音楽と印象が強かった。

・ポップスからSをとってJをつける。それはもう一つの亜流品という自己卑下的な位置づけからオリジナリティのある日本のポップになったという自信の表明なのかもしれない。何しろ、日本の音楽産業の規模はアメリカに次いで世界第二位であり、人気ミュージシャンがコンサートをやれば、ドームを何日も満員にするほどなのだから、そんな意識の変化も理解できないことではない。しかし、その中身はどうなのだろうか.....。

・田家秀樹の『読むJ-POP』は戦後から現在までの日本の流行歌を丁寧におった内容の本である。読んでいて気づいたことは、ある年代まではほとんど意識的に聴いたことはなくてもその歌を知っているということ。もう一つは、ほとんど著者と僕が同世代であること、住んでいた場所もおなじ、というよりは、同じ中学の2年先輩だったことだ。当然、10代の心像風景は大きく重なりあっているし、その後の時代についても共有できる経験は少なくない。にもかかわらずそれから後、つまり20代の後半あたりからは、二人の関心は大きくずれはじめる。著者の関心は日本の音楽に向き、僕は洋楽ばかりになるのだが、そのちがいは何で、どこから来たのだろうか?

・ひとつは著者が東京にいつづけて雑誌の編集やラジオの放送作家、あるいは音楽評論家といった仕事をしてきたことにあるのだろう。仕事柄、否応なしに新しいミュージシャンやタレントに関心を向けざるを得なかったはずだ。僕は京都に移って大学院に進み、研究者になった。音楽には興味を持ち続けたが、その対象は流行や売れ筋というよりは自分の気持ちや意識にしたがって選ばれたものだった。

・誰でも、30歳に近くなればテレビやラジオに出るタレントやアイドルには関心がなくなる。若者の意識とはずれてくる。80年代以降の日本の音楽に僕が疎いのはそこが原因かもしれない。けれども、僕は同時に洋楽の新しい音楽的な流れにはずっと興味を持ってきた。新しく生まれてくるものには、それなりの社会的は意見が感じられたからだ。そこから見ると、アイドル・ブームやバンド・ブームなどには、レコード会社や芸能プロダクション、そして何よりテレビの仕掛けを嗅ぎ取らざるを得なかったし、CMやドラマの主題歌がヒットするといった構造と、誰もがそれに乗ってしまうといった腰の弱さも気に入らなかった。ちょうど政治が永田町の町内ゲームであるように、日本の音楽の流れも結局のところ、東京のメディアの周辺でつくられている。関西に住んでいると、そんな構図がよく見えるような気がした。

・とはいえ、やっぱり歌は世につれ、世は歌につれといった一面も、もちろんある。『読むJ-POP』はそれを個人の私的生活歴、たとえば離婚と主夫生活などといった話を織り込みながら書き進んでいる。単なる戦後の歌謡曲史ではなく読めたのは、そんな著者のスタンスのせいなのかもしれない。おかげで、後追いにはなるが、J-POPなる音楽を聴き直してみようかという気も、ちょっぴりわきあがってきた。(1999.9.15)

2006年11月15日

長田弘『アメリカの心の歌』岩波新書

osada.jpg・最初からアメリカの歌が好きだった。で、今でもアメリカの歌が好きだ。歌謡曲はほとんど聴かない。シャンソンもカンツォーネもロシア民謡も好きではない。最近はやりのワールド音楽なども、あまりぴんと来ない。クラシック音楽は子供の頃から嫌悪している。決してアメリカだけ、アメリカ人だけが好きだというわけではない。なのに音楽だけは、アメリカのものしか受け入れない。一体どうしてなのか。これは、ぼくにとっての一つの大きなテーマだ。

・『アメリカの心の歌』はそんなぼくにとってもなお、知らない音楽やミュージシャンがアメリカにいることを教えてくれた。「少年時代から非行を繰りかえし、塀の内と外を往復しながら成長」したディヴィッド・アラン・コー。ピーター・ラファージはディランが歌う『バラッド・オブ・アイラ・ヘイズ』の作者であることしか知らなかった。トム・T・ホール、マール・ハガード、ジョン・プライン、グラム・パーソンズ。誰もが本当にいい。ますますアメリカの歌が好きになってしまいそうな気がした。「アメリカは私にとって………音(サウンド)………匂い(スメル)………感触(タッチ」)(ウェイロン・ジェニングス)

・「歌というのは、つまりうたい方だ。うたい方というのは、つまり歌うたいの個性だ。個性というのは、つまりは人生に対する態度だ。そして、人生に対する態度がすなわち歌である秘密をどうにかして伝えようとしてきたのは、シンガー・ソングライターの歌だった。」
・アメリカの歌に共通した伝統。確かにそうだ。でもぼくがアメリカ音楽しか聴かない理由は、たぶんそれだけではないだろう。(1996年11月30日)

2006年11月19日

加藤典洋『言語表現法講義』(岩波書店)

・大学の教師の勤めの一つは学生の書いた文章を読むことである。実際、試験をすれば数日の間に数百枚の答案用紙を読まなければならない。しかし、これは簡単な仕事ではない。難行苦行だと言ってもいい。もちろん、学生の書くものなどは読む価値もないとはなから思っているわけではない。むしろ、おもしろいものに出会うことを期待している。ところが、いつも読み始めたとたんに裏切られる。

・なぜ、学生の書く文章はおもしろくないか。加藤典洋はこの本の冒頭でことばを書くという経験を「考えていることを上手に表現する技法」というよりは「むしろよりよく考えるための、つまり自分と向かい合うための一つの経験の場なのだ」と書いている。ぼくが出した問題に対して学生が書く文章は、大半が授業でぼくが話したこと、テキストと指定した本に書いてあることのコピーである。だから、ぼくにはそこに発見するものはほとんどないし、考えるチャンスすらつかめない。長時間にわたる単純作業にはただただうんざりした気持ちだけが残る。

・そして学生たちもうんざりする。試験期間中に彼らが使うのは、たぶん、頭ではなくて手なのである。彼らは書きたくて書いているわけではない作文、読まれるかどうかわからない文章を時計とにらめっこしながら必死に書いている。文章によって意識を通じ合えない教師と学生が共有できるのは、それが楽しくないことだという感覚だけである。「文章を書くのが苦手だ、という以前に、イヤなんです。楽しくない。その楽しくないことをやること、そのことに苦しんでいる。」というわけだ。

・文章を書くことが楽しい経験であること。それをどうやって学生に伝えるか。実際、これは大変なことである。加藤は学生が書いた文章を学生の前で読み、学生から感想を聞く。そうすることで、学生たちは、自分の文章が他人にさらされる経験をすることになる。この本は、そのようなプロセスを学生の文章を材料にしながら、授業の記録ふうにまとめたものである。その中で、文章のおもしろさが「1.自分にしか書けないことを、2.だれでも読んでわかるように書く」ことで生まれてくること。あるいは、文章をまとめる段階が1.思いつき、2.裏づけ、3.うったえの3つの段階を踏むことなどが、指摘されていく。その手綱さばきには思わず感心してしまう。

・しかし経験的に言ってそのようなプロセスはなかなかうまく動いてくれない。学生たちは長い間、一つしかない正しい解答を求めて努力をしてきたのだし、自分の意見や感覚を他人にさらして判断を仰ぐ作業など学んでは来なかったのである。ぼくの所属する学科では卒論が必修になっている。原稿用紙で30枚以上。テーマは何でもいいとは言っても、学生たちにとってはこれは簡単に片づけられる作業ではない。放っておけば、試験の答案やレポートのようなほとんど考えずに枚数を重ねた文章を書いてしまう。「この文章の中で君は一体どこにいるの?」「第一、書いていて、ということはつまり考えていて、おもしろかった?」と聞くと学生たちはほとんど、黙ってうつむいてしまうか、首をふるだけだ。「もうちょっと、楽しくやろうよ。君の頭を使ってさ!君にしか書けないものを考えて見なよ!! ちゃんと裏づけも調べてさ!!!」

・ぼくは学生の論文を毎年文集にしている(卒業論文集『林檎白書』参照)。学生たちが手元に置いて記念にするという思いもあるが、せっかく書いたものはできるだけ多くの人に読んでもらいたいという気持ちからはじめた。読み手を持たない文章はかわいそうだ。しかも日記のように極私的なものは別だが、読み手を意識しない文章には書き手の顔も描かれない。そんな無味乾燥な作業を学生に強制したくはないし、僕もつきあいたくはない。すべての学生が僕のこんな気持ちに乗るわけではないが、1本でもおもしろい作品が出てくる限りは文集を出し続けようと思っている。今年はこの本をテキストに使ってゼミをやってみようかと考えたら、何だか1年後が楽しみになってきた。

・加藤典洋はやっぱり学生と一緒に『イエローページ村上春樹』<荒地出版>を書いている。そしてこれもなかなかおもしろい。しかし僕には、村上春樹の世界の読み解きよりは、学生との共同作業の経験のほうが興味ぶかかった。 (1997.02.25)

村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)『アンダーグラウンド』(講談社)

・ 村上春樹が創る世界の魅力は現実感のなさにあった。「鼠」にしても「羊」にしても、あるいは「ハードボイルド・ワンダーランド」にしても、それは主人公の内的世界に登場する人物や舞台だった。もちろん主人公にも現実感はない。彼にはいつでも家族と呼べるものはなく、仕事もないか、あってもほとんど描写されなかった。

・村上の描く世界に変化が見えはじめたのは『ノルウェーの森』からだ。ここではじめて主人公が恋愛をした。次の『国境の南 太陽の西』では主人公はジャズ喫茶のマスターとして登場する。そして結婚していて、不倫をした。『ねじまき鳥クロニクル』ではまた主人公は失業していたが、結婚はしていた。そして奥さんが失踪する。しかし、この本を読んで一番違和感を感じたのは、井戸を降りて、そこから壁を通り抜けて行った先が満州のノモンハンだったことだ。しかも、そこでは時間も第二次大戦時になっていた。村上春樹の世界が少しずつ「現実感」を出しはじめてきた。そこに良い悪いの判断をする気は起こらなかったが、どうしてかな?という疑問は残った。
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』のなかで村上春樹は、そのことを「コミットメント」と「デタッチメント」の二つの違いとして話している。


・「考えてみると、68〜69年の学生紛争、あの頃から僕にとっては個人的に何にコミットするかということは大きな問題だったんです。.................ところがそれがたたきつぶされるべくしてたたきつぶされて、それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。...........」


・ 村上春樹は1979年に『風の歌を聴け』で小説家としてデビューした。彼の描く物語はまさしく「デタッチメント」の世界だった。しかしそれは単に人びとや社会、あるいは現実との間に生じる「コミュニケーションの不在」を描き出しただけではない。それは同時に、それまで自分に付着し、あるいはつきまとっていた自分以外のものを取り払っていった後に残る個人的なものの確認の作業でもあった。けれども、他者や現実からデタッチすれば、それだけ自己の存在も希薄化する。自己は何より他人を通してこそ確認できる存在だからである。

・村上春樹はつい最近まで8年ほど外国(ヨーロッパとアメリカ)で暮らしてきた。彼はそこで、「もう個人として逃げ出す必要がない」ことに気づいた。つまり、日本の外に出ることによって、個人として何か<誰か>にコミットする道に気づいたというのである。日本の中では「コミットメント」は同時に個人が集団に帰属することを意味する。そして個にこだわろうとすれば「デタッチメント」する他はない。外国にいると、個人として何かにコミットできるのでは、あるいはしなければと思うのだが、日本に帰ると何にどのようにコミットしたらいいのかわからなくなる。このような主旨で話す村上の感覚は、ぼくにも良くわかる。しかし、このような状況も、日本でもぼちぼち変わりはじめている。村上春樹はそんな気持ちで「地下鉄サリン事件」の被害者の言葉を聞き集める作業を思いたった。

・『アンダーグラウンド』を読みながら気づいたのは、一つはスタッズ・ターケルの本に良く似ていることだった。ターケルの本はどれもが 100人を越える人たちが語ることで作り上げた世界である。「仕事」や「戦争」、「大恐慌」や「アメリカン・ドリーム」、そして「人種問題」。それらはどれも、多様な人たちのさまざまな経験や考え、思いが交錯する、分厚い短編小説集のような仕上がりになっている。しかし、700ページを越える『アンダー・グラウンド』はきわめて単調で退屈である。同じ日の同じ時間に同じ地下鉄に乗り合わせた60数人の経験は、それが都心の職場に通う人たちばかりのせいか、どれも似通っている。だから、100ページも読み進むと、後はまたかといった思いがだんだん強くなってくる。要するに村上春樹の小説のようなおもしろさを期待すれば、たちまち放り出したくなってしまうものでしかない。

・村上春樹はこの本の最後の章で、この仕事を考えた動機を「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか?」と書いている。実はこの点については、ぼくも読みながら興味を感じた。それは偶発的で異常な出来事に対して人々がとった行動と状況についての解釈、つまり「コミットメント」と「デタッチメント」の仕方といったことである。この本を資料にすれば、そのようなテーマで論文が一本書けるかもしれない。そんな感想を持った。しかし、それはまた『アンダーグラウンド』に登場する人々に「コミット」だけではなく「デタッチ」の姿勢も示さなければできない仕事のように思えた。(1997.04.25)

ポール・オースター『偶然の音楽』(新潮社)『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(新潮文庫)

・ポール・オースターの翻訳が続けて二冊出た。一つは『偶然の音楽』、もう一つは『ルル・オン・ザ・ブリッジ』。後者は映画も公開中である。ぼくはさっそく、二冊を買い求め、映画を見に出かけた。オースターにはいつもわくわくさせられてきたが、一度に二冊と一本というのだから、今回はまさに胸がときめく思いだった。で、その感想だが、本も映画も、その余韻がいつまでも消えないほどである。

・『偶然の音楽』は幼い頃に別れた父親からの遺産を偶然手にしてしまう男、ナッシュの話。彼は赤いツードアのサーブ900を買って、行く宛のないドライブに出かける。13カ月間、13万キロ、アメリカ中を走り回ったところでギャンブラーのポッツィに出会う。そこで、富豪相手に遺産を全部かけたポーカーの大勝負に出る。すっからかんになったあげくに1万ドルの負債を抱え込む。富豪の提案は石壁を作る作業で返済というものだった。

# 石を積み上げる作業は時給10ドル。二人で毎日10時間働けば50日で終わる。重さが20キロ以上ある石を来る日も来る日も積み上げていく単調な作業。監視付きの隠蔽された空間、無為な仕事。約束が守られるという保証はあてにならないから、それは一生つづくかもしれない。けれども、ナッシュは直情的なポッツィをなだめながら、何か充実感を持ちはじめる。二人の間に確かに認められる友情、徐々に形をなしていく壁。

・『ルル・オン・ザ・ブリッジ』はテナー・サックスを吹くジャズ・ミュージシャンが主人公である。演奏中に彼は、恋愛のもつれに動転した若者の撃った銃弾に当たってしまう。救急車で病院に送られ一命を取り留める。そこから物語がはじまる。

・ 眉間を撃たれて倒れている男が持っていたのは光る石。それをくるんでいた紙に書いてあった電話番号に電話をすると若い女性が出た。訪ねていって二人でその石にさわると、えもいわれぬ至福感。二人は恋に落ちる。「あなたはマッチ、それともライター?」「君は本当の人間、それとも精霊?」「ぼくは君のために死んでもいい」女優志願のウェイトレスは映画の主人公「ルル」に大抜擢され、アイルランドにロケに旅立つ。男は石を渡し、後から行くと約束する。しかし、石を捜す一味に捕まり、倉庫に閉じこめられる。

・男は石のありかを教えない。なによりそれは、彼女を幸福にする石だから。けれども、一味は彼女に迫り、追いつめる。女は橋から川に身を投げる。男はうまく逃げ出すが、女は見つからない。もう一度、冒頭の撃たれる場面。救急車で男が運ばれる。しかし途中で息絶える。救急車のサイレンがやむ。歩道を歩いていた彼女が、一人の人間の死を知る。

・「リアル、それともイメージ?」。二つの作品に共通するモチーフ。遺産をもらった途端に消防士の仕事を辞める男。で13カ月間の行き先のないドライブ。遺産をかけた大博打。巨大な石壁を手作業でする作業。自由、幽閉感、達成感、そして友情。あるいは、ジャズ・ミュージシャンとしての仕事。流れ弾に当たる不幸。至福の石と天使のような女性。彼女が演ずるのは魔性の女「ルル」。自らを捨ててもその娘の未来に価値を見つけだす男。いったい「リアリティ」って何なのだろうと、あらためて考えさせられてしまう。「リアリティ」の不確かさ。それは最近では話題になった事件にお馴染みのテーマである。けれども、オースターの作品には、衝撃的な出来事から感じられるような殺伐さやおぞましさがない。本を読む間、映画を見る間に感じた至福の気持ち。しかし、これはやっぱりフィクションでしか感じられないものなのかもしれない。 (1999.01.07)

村上春樹『スプートニクの恋人』(講談社)『約束された場所で』(文芸春秋)

・村上春樹の『スプートニクの恋人』がベストセラーになっている。書評もだいたい好意的だ。しかし、まるで少女小説、というのが読みながらの感想で、ぼくはあまりおもしろいと思わなかった。もっとも駄作だと決めつけたわけでもない。はっきりとは指摘できないが、村上が、今までとは何か違うものを目指しているようにも思えた。手がかりになるのは、もちろん、オウムとサリン事件への彼の「関わり」だ。

・村上はすでに『アンダーグラウンド』というタイトルで地下鉄サリン事件の被害者にしたインタビューをまとめていて、つづけて、もう一方の当事者であるオウム真理教の信者の世界を描き出そうとした『約束された場所で』を発表した。ぼくは『アンダーグラウンド』があまりにおもしろくなかったから、『約束された場所で』は全然読む気がしなかったのだが、『スプートニクの恋人』を読んで、あらためて読んでみたくなった。

・『アンダーグラウンド』のつまらなさは、サリン事件の被害者達が語った世界の一様性にある。地下鉄にたまたま乗り合わせた人々が、あまりに似た世界に生きている。仕事、職場という世界、家族、そして自己。それらについての姿勢や思い。分厚いページをいくら繰っても、まるで金太郎飴のように同じ世界が出てくるばかり。その単調さにうんざりした。脚色や編集なしに本にまとめるのが最大の目的だとはいえ、村上春樹でなければ出版社はどこもOKしなかっただろう。もっとも、ぼくには、村上春樹がなぜこんなつまらない本を作ったのだろうという疑問が残って、そこには何かおもしろい理由がありそうに感じられた。で、少女小説のような『スプートニクの恋人』である。とにかく判断は『約束された場所で』を読んでからにしようと思った。

・『約束された場所で』は意外におもしろいかった。オウムに関心をもつ人たちに共通した心理は、現実の世界との違和感にある。現実と折り合いをつけることが下手、というよりは、現実を現実として認めたくない気持ち。そこからオウムとの出会いによる魅力的な世界と新しい自己の発見。出家、修行、解脱.......。もちろんここに登場する人たちの現在の考えや気持ちはそれぞれだが、入信前の状況やその後の意識の変容についての話はまた、奇妙に一様なものである。

・サリン事件を巡って両極に位置する人たちの日常生活に対する姿勢は対照的である。事件の被害者達の多くは、その理不尽な境遇を世間に訴えたり、裁判を起こしたり、勤め先に仕事をこなせないことを主張したりといったことはしない。そうすることによって、日常の安定性がさらに揺らぐこと、そこからはじき出されてしまうことを恐れるからだ。おまけに偶然の不幸にもかかわらず、自分を責めたりしたりもする。オウムに入信した人たちは逆に、日常生活を捨てたこと、それによってもたらされた幸福感やリアリティの確かさを力説する。けれども、それは、まるでまったく同じ世界であるかのようにも思える。


僕らは世界というものの構造をごく本能的に入れ子のようなものとしてとらえていると思うんです。箱の中に箱があって、またその箱の中に箱があって......というやつですね。僕らが今捉えている世界の外には、あるいはひとつ内側にはもう一つ別の箱があるんじゃないかと、僕らは潜在的に理解しているんじゃないか。そのような理解がわれわれの世界に陰を与え、深みを与えているわけです。音楽でいえば倍音のようなものを与えている。ところがオウムの人たちは、口では「別の世界」を希求しているにもかかわらず、彼らにとっての実際の世界の成立の仕方は、奇妙に単一で平板なんです。あるところで広がりが止まってしまっている。箱ひとつ分でしか世界を見ていないところがあります。『約束された場所で』p.232


・世界を平板にしか捉えられない、ひとつの世界としてしか理解したがらない感性。オール・オア・ナッシング的思考。これはもちろん、オウム信者やサリン事件の被害者に限ったものではない。たぶん村上春樹がこれまで書いてきたのは「入れ子」状の相対的な世界とそれを可能にする「デタッチメント」というスタンスだったはずである。けれども、そんな相対的な意識で捉える他はない世界に生きるには、また、「リアリティ」に対して柔軟に距離を加減する「アタッチメント」の感覚も欠かせない。そういったバランス感覚が崩れ、あるいは欠如してしまっている。そういった傾向を意識した小説の創造はたぶん、簡単には実現しない難しい作業だろう。『スプートニクの恋人には』をもう一回丹念に読んでみようと思った。 (1999.06.08)

中川五郎『渋谷公園通り』(KSS)『ロメオ塾』(リトル・モア)

・中川五郎は「関西フォーク運動」の頃から知っている。「受験生ブルース」の歌詞を書き、雑誌『フォーク・リポート』に載せた青春小説で猥褻罪に問われた。もう30年も前の話だ。彼はその後、音楽評論家になった。ぼくは音楽雑誌は買わないから、彼の文章を読んだことはほとんどなかった。「中川五郎がいいと言ったらまちがいない」といった話を学生から聞いたことがあって、「へえ、そうなの」と返事をしたのを覚えている。

・2年半ほど前にボブ・ディランの訳者の中山容さんが死んだが、ぼくは入院先の病院でたまたま彼と会った。高田渡ともう一人、滋賀県の病院長をしている人と一緒に容さんを近くの喫茶店に連れだして話をした。みんな関西フォーク運動を経験した仲間達で、年長の容さんには世話になった。その時、渡ちゃんか五郎ちゃんかどちらかが、「なまじ音楽の才能がない方が出世したみたいだね」と言った。確かにこのメンバーでは、才能がなくて早々音楽の道をあきらめた者が医者や大学の教員になっている。「あー、そういうことになるのか」と思ったが、それはあくまで30年も経った後の話でしかない。

・「中山容さんを偲ぶ会」以来、ぼくは中川五郎には会っていなかったが、最近続けて本を出して、そのどちらもが私小説風の作品だった。一つは『渋谷公演通り』、もう一つは『ロメオ塾』。前者は彼の20代、後者は30代を主人公にしている。

・『渋谷公園通り』を読んで、ぼくはまるで自分の20代の頃を思い出すようして読んだ。仕事と自分の夢、恋愛、失恋、性、妊娠、堕胎………。その状況がというより、時代の雰囲気と共通する感性、たとえば背後に聞こえてくる音楽や着ていたもの、それにもちろん考え方、行動の仕方といったものである。ちなみに、舞台になるのは渋谷で、今のような若者の街になる直前の風景が良く描かれている。中川五郎は大阪から東京に来て、そんな変貌する渋谷の街を経験している。ぼくは彼とは入れ違いに東京から京都に行ったから、渋谷の街の変わり様はいまだにほとんど知らない。

・『ロメオ塾』では主人公は雑誌のフリー・ライターとして働いている。大きな出版社から80年代の新しい男のファッションやら音楽、それに遊びをリードする雑誌として出たというから、たぶん『ブルータス』だろう。東京志向とバブリーなスノッブたち。ぼくはこの雑誌の雰囲気は好きではなかった。京都にいて、すでに結婚して子どももいた。虚飾さとは無縁な世界にそれほど不満も感じなかったが、なかなか定職に就けない不安定さはあった。

・主人公の中澤三郎は時に繁華街の取材に大阪や松山に出かけ、ミュージシャンの取材にロンドンに飛ぶ。ロック・ミュージシャン崩れで独り身のやさ男だから、かわいい女の子にやたらともてる。格好つけの男達のための雑誌だから、遊びの指南のためには湯水のように取材費が使える。『渋谷公園通り』とはちがって、この話にはぼくと共通するものは何もないなと思いながら読んだ。というよりは、うらやましすぎてしゃくにさわってしまった。

・ぼくは40歳でやっと大学の定職に就いた。で、50歳になった今年、職場を東京に変えた。東京に戻るというよりは田舎暮らしがしたくて、最近河口湖に家を買った。子どももぼちぼち一人立ちして、本格的に陶芸の仕事を始めたパートナーと、これまでとは違ったライフスタイルで暮らしてみようと思っている。

・中川五郎は、どうやら小説家になろうとしているようだ。20代、30代ときたから、次の作品は彼の40代が描かれるのだろうか。あるいは、チャールズ・ブコウスキーの『くそったれ少年時代』(河出書房新社)を翻訳しているから、全然別の作品になるのかもしれない。いずれにしても、同世代人としてこれからも注目していきたい人の一人であることはまちがいない。 (1999.07.07)

ポール・オースター『リヴァイアサン』新潮社

・爆死した男のニュースに触れてピーターは、被害者が友人のサックスであることを確信する。それが物語のはじまりである。二人は作家で、ニューヨークの酒場で出会った。それぞれの仕事、夫婦や家庭の問題、そして互いの関係をたどりながら、ピーターは、サックスがアメリカ各地にある自由の女神像を爆発して回るようになった理由とプロセスを追い、そのことをひとつの物語として書いた。小説内小説という形式だが、「リヴァイアサン」はサックスが自ら書いた作品の題名でもある。それは言ってみれば、小説内小説内小説で、ピーターはそれをもとにサックスの物語を作り上げる。『リヴァイアサン』は形式的にも、人物やその関係も複雑だが、読んでいて考えることが多い作品である。

・サックスはベトナム戦争への徴兵を拒否して刑務所に入れられた経歴を持つ。服役中に小説を書きはじめた。妻のファーニーは美術を専攻する学生で、結婚したのは逮捕される1年前だった。ピーターはその時偶然、コロンビア大学の美学史の講義で彼女を見かけ、興味を覚える。だから、サックスに出会って彼女に再会したときには、心が乱れてしまう。ピーターはディーリアと結婚していてディヴィッドという子どもがいたが、二人の関係はいいものではなかった。

・ファーニーとサックスとの間には子どもがいない。それがファーニーの心をさいなむが、サックスもまた、そんな彼女の自罰的な心を和らげようとして苦悩する。だめな女と自覚するファーニーの前で、もっとだめな男を演じようとするサックス。ファニーはピーターに近づき、サックスもまた別の女性を誘惑する。欲望と自制、愛情と嫉妬、そして何より強いのは信頼することへの忠誠。サックスは執筆を理由に一人暮らしをはじめ、やがて失踪する。ファニーはもちろんピーターにも強い喪失感が残るが、しかし、閉塞感もなくなる。


僕は出ていく、などと宣言して彼女につらい思いをさせる必要はない。ジレンマ的な状況を捏造することによって、ファーニーの方から彼を捨てて出ていくように仕向けるのだ。彼女が自分を自分で救うように持っていくのだ。彼はファーニーがみずからを守り、彼女自身の人生を救う手助けをするのだ。


・サックスはある時ヒッチハイクをして、森の中で立ち往生した車を見つける。そこにいた男はいきなり銃を撃ってくる。サックスはとっさにバットで応対して男を殴り殺してしまう。男の名前はリード・ディマジオ。車の中には大金があった。サックスはその金をサンフランシスコに住むディマジオの家族に渡す。別れた妻の名はリリアン、娘はマリア。そこでまた、彼は奇妙な同居をはじめる。

・リリアンの家に閉ざされたままの部屋があって、中に入ったサックスはディマジオという男に興味を持ちはじめる。ディマジオはあるアナキストを主題にした博士論文を書いていて、ベトナム戦争を体験して以来、政治運動に関わっていた。サックスはディマジオが自由の女神を破壊して回わっていることを知り、その志を継ぐ決意をする。中途半端な生き方をしてごまかしてきた自分を恥じて、自分の命をディマジオに捧げることにしたのだ。彼は今まで感じたことのない強い幸福感と、自分が自由になったという自覚を持つ。


すべての人間の弱さ、もろさを受け入れておきながら、いざ自分のこととなるとサックスは完璧さを追求し、どんな些細な行為においてもほとんど超人的な厳しさをおのれに課した。結果として生じたのは、失望だった。人間としての自分の欠陥を思い知って愕然とし、そのせいでますます厳格な要求を自分に課すに至り、その結果、いっそう息苦しい失望感が募るばかりだった。あれでもう少し自分を愛するすべを学んでいたら、周囲にあれほどの不幸を作り出す力も持たずに済んだだろう。


・ 理想主義が陥るジレンマ、と言ってしまえばそれまでかもしれない。自罰的でありながら、裏には強い自愛があり、結果として、自分を滅ぼすだけでなく、他人をも不幸に陥れてしまう。しかも、例えばサックスの理想主義のように、それは必ず他者との関係を通して現実化する。訳者の柴田元幸はあとがきで「現実と理想との隔たりに人間の悲惨があり、現実から理想に向かおうとする意思に人間の栄光がある」と書いている。滑稽さと邪悪さ、成熟と腐敗。現実と理想を巡る栄光と悲惨の物語。それはもちろん、フィクションの世界にとどまるものではなく、僕らの現実のなかに転がっている。 (2000.02.09)

村上龍『共生虫』村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

・同世代ということもあって二人の作品はほとんど読んできたが、村上龍は決して気になる存在ではなかった。暴力やセックスに始まって描写のグロテスクさが僕の性分にはあわない気がしたからだ。反対に村上春樹にはずっと関心を持ち続けてきた。それがここのところ、変わりはじめている。きっかけは村上春樹のオウム真理教への関心と、村上龍の少年が起こす事件へのコメントだった。

・もうこのHPでも書いたが『アンダーグラウンド』も『約束された場所で』もおもしろい本ではなかった。もっともそのつまらなさは、インタビューを受けたサリン事件の被害者やオウム真理教の信者たちが持つ現実感覚の貧しさからくるもので、インタビューをした著者にとっては、その貧弱な現実感覚を描き出すことが目的だったのかもしれないと思った。

・現実と距離を置くことで生まれるリアリティの多元性。一言でいえば村上春樹の小説はそんな感覚がもたらすおもしろさにある。異なる世界を井戸や壁の穴やエレベーターによって行き来する時に生じる自由さと危うさの感覚。もちろんそれはフィクションとして作り出された世界で、現実の世界ではありえない。けれども、見方によってはいくらでも現実そのものに置き換えることができる。村上春樹の小説にはそんな知的遊びを楽しむゆとりが感じられた。

・一方、村上龍の小説が描き出すのは、人が持つ欲望がむき出しにされたところに生まれるどろどろとした世界。で、話はどんどん非現実的なところに突き進んでいく。一見安定して強固に見える現実が、実は薄皮一枚で支えられている。その表面的に取り繕われた現実世界の皮をはぐとどんな光景が見えてくるか。村上龍の狙いはいつでもそこにあったような気がする。

・村上春樹は阪神淡路大震災によって生まれ育った世界が瓦礫の山と化したこと、あるいはオウム真理教のサリン事件の発生などから、現実が虚構の世界以上にもろいものであることを実感する。そこから、現実と距離を置く姿勢ではなくもっと積極的に関わる方向へ転換する。そのプロセスの中から生まれたのが『アンダーグラウンド』であり『約束された場所で』だった。そして『スプートニクの恋人』と『神の子どもたちはみな踊る』。

・『神の子どもたちはみな踊る』は短編集である。で、どれもが、何らかの形で阪神淡路大震災に関連する。僕は正直言って、あまりおもしろいと思わなかった。現実(震災)への関与の仕方がものすごく薄いという気がした。震災との関連性があってもなくてもたいして違いはない。ただ一つ、カエルがミミズと戦って東京の大地震を未然に防ぐという話だけは、童話風だが、よくできた話に仕上がっていると思った。

・村上龍の『共生虫』は引きこもりの青年が殺人事件を犯す話である。ちょうど引きこもりの17歳の事件が連続したこともあって、そのタイミングの良さが話題になっている。そして、著者は現実が虚構に追いつき追い越してしまったことにとまどっている。村上龍はグロテスクな世界を描き続ける一方で、現代の社会の病理について発言することに積極的である。現実の重みが失われたこと、現実への適応がうまくできない若者が生まれてしまったことにたいして、彼は戦後の世界を作り上げ、子どもたちを育ててきた大人たちに批判の矛先を向ける。

・現実にたいして距離をとる姿勢、あるいは現実を維持する薄皮をはぐ行為。今それが、若い人々の共通感覚になってしまっている。二人の村上は一方では、そのことを自省する。しかし、そのような発言とは裏腹に、創作されるフィクションは相変わらず、現実との距離と現実暴露がテーマになっている。そのちぐはぐさに、僕は正直言ってとまどいを感じているが、そこには二人への批判というよりは、今のところそうとしか表現しきれないだろうなという了解も含まれている。実際、現実にたいして距離をとる姿勢にしても、現実暴露を面白がる態度にしても、僕自身がこれまでずっと示してきたものであって、そのことに肯定も否定もしきれないアンビバレントな感覚を持っているのは同じだからである。

・現実は、それが現実だと一般に了解されたフィクションにすぎない。しかし、この「現実」は単なるフィクションとして片づけることもできない。そのような微妙な姿勢をどうやって納得し、持続させるか。若い人たちに伝えなければならないのは何よりこんな感覚なのだが、それはいったいどう伝えたらいいのか。その難問に立ち往生しているのは、誰より僕自身なのである。(2000.06.19)

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』( 文春新書 )

・ぼくはこれまで5冊の翻訳をした。こつこつと根気のいる作業だが、けっして嫌いではない。何より、自分で書く文章と違って、時間を見つけて少しずつやれるのがいい。翻訳はいってみれば夜なべ仕事である。とは言え、その報酬は内職仕事ほどにもならないから、収入のことを考えたらやってられない仕事であることもまちがいない。

・それではなぜ、そんな面倒な上に儲からない仕事をやるのか。ことばによって作り上げられた一つの世界を、別のことばで作り直すおもしろさといったらいいだろうか。そこには、推理もあれば、賭もある。創作はできないが、想像力を働かせる場面にも事欠かない。ただ読むよりは数段楽しめる気がする。もっともそう思えるのは、ぼくが翻訳家ではなく、余技としてやっているからなのかもしれない

・村上春樹と柴田元幸が出した『翻訳夜話』には、そんな翻訳に対する姿勢や意識に共感できる部分があっておもしろかった。


・小説を書くのはもちろん本職であるわけで、これがぼくにとっては生命線なわけです。それだけに「好き」とかそういう言葉では簡単に表現できない部分があるし、またいつでもどこでもすらすら書けるというものでもない。それなりの覚悟を決めて、正しいときを選んで、「さあやらねば」という勢いと集中がないとできません。でも翻訳というのは、違うんです。放っておいても、ちょっとでも暇があったら机に向かって、好きですらすらやっちゃうようなところがあるんです。(村上、p.30)


・翻訳はことばを置き換える作業だから、当然、原文に忠実であることが大事だ。けれども、一字一句正直に置き換えていったのでは、日本語にならないし、なっても、とても読みにくいものになってしまう。「忠実に、しかし、スムーズな日本語に」。翻訳の極意は簡単にいえばここにある。しかしまた、それが難しい。難しいからやってみたくなる。

・『翻訳夜話』を読んでいて、うらやましいな、と思ったところが一つある。それはふたりが訳しているのが小説だというところだ。ぼくが訳すのはいつも学術書だから、作品の奥にある作家のイメージとか文体の特徴とかを意識することは少ない。注意するのはただ一点、論理的な正しさの追求である。それはそれでおもしろいが、学者ももっと文体に工夫してくれたら、訳しがいがあるのにと文句を言いたくなることが少なくない。

・ふたりが披露する翻訳の極意でおもしろいのは「リズム」である。つまり「リズム」のある文章で訳す工夫ということだ。これにもぼくは共感するが、翻訳をしていていつも迷ってしまう点でもある。学術書は正確さを大事にするから、どうしても文章が長くなったり、くりかえしが多くなったりする。だからリズム良く訳そうと思ったら、長い文章はいくつかに分け、くりかえしは省略したり、回りくどい表現は率直に言い換えたりしたくなる。けれども、学術書は読みやすさとか訳者のセンスを発揮させるよりは、正確に訳すことが大事だと言われたりしかねないから、ついつい、リズムに合わせて踊り始めた頭や指先にブレーキをかけることになる。翻訳者のジレンマである。

・「正確」であることと「リズム」のある文章であること。翻訳は両方の使命の達成を理想とすべきだが、これははっきり言って不可能である。学術書の翻訳は引用されて、あたかも原文そのままであるかのように扱われる。だから正確にという意見を良く耳にする。もっともらしいが、ぼくは引用するなら原文にあたれと言いたくなってしまう。研究者なら、翻訳をあてにしたり鵜呑みにするような姿勢をもつべきではない。

・ぼくは今、6冊目の翻訳を始めている。ポピュラー文化論の入門書で、諸理論の解説が内容だから、当然正確さを期さねばならないが、入門書だから、わかりやすく、読みやすいものにしなければならない。しばらくはまた翻訳者のジレンマに悩まされそうだが、そこがまた、おもしろがれるところでもある。(2000.11.13)

村上春樹『海辺のカフカ』(新潮社)

・今度の物語の登場人物は15歳の少年「田村カフカ」、字の読めないナカタ老人、私設図書館の館長の佐伯さんと館員の大島さん、トラック運転手の星野さん。舞台になるのは東京中野区野方、戦時中の山梨県のどこか、それから四国の高松とそこまでの旅程。さらには高知に行く途中にある深い森。

・例によって話は二つの世界を順繰りに追うことで進む。家出をする15歳の少年。戦時中に何かの原因で記憶を失うナカタさん。少年は父と二人暮らし。母は姉を連れて4歳の時に家を出た。彼には捨てられた記憶が鮮明に残っている、母親に愛されて育つという思い出の喪失。父親には何の愛情も感じない。ナカタさんは字が読めない。生活保護を受けていて、中野区から一歩も出ないで生きてきた。しかし彼は猫と話ができる。

・この、まるで関係のない二人が、何かに導かれるように高松に向かう。少年は小さな私設図書館にたどりつき。そこで佐伯さんという女性と出会う。彼女は15歳で大恋愛をしたが、相手は東京に行き大学紛争に巻きこまれて、不当な殺され方をしている。愛の対象の喪失。少年は彼女に惹かれ、彼女に母親を見つける。そして霊のように、あるいは無意識の世界から飛び出してきた虚像のようにして彼の前に出現する15歳の彼女に夢中になる。

・ナカタさんは猫探しをしてジョニーウォーカーに会う。猫を殺して心臓を食べる男。彼は自殺願望をもっていて、ナカタさんの手を借りて自殺を図る。ナカタさんが彼を刺し殺したとき、少年は突然意識を失う。気づいたときにはシャツにべっとりと血がついている。そしてナカタさんには人を刺した痕跡は何も残らない。ナカタさんは突然、西に向かって旅をはじめなければと感じる。ヒッチハイクをして、富士川SAで名古屋に住む星野さんという長距離トラックの運転手と出会う。そこから、二人の珍道中が始まる。

・まったく繋がりの感じられない二つの世界、二人の人物の話のトーンは、少年の部分はいつも通りのものだ。しかし、ナカタさんについてはだいぶ違っている。少年の時に記憶を喪失し、文字を失い、家族からも距離をおかれ、ほとんど生活実感のない時を過ごしてきた人物だが、また奇妙にユーモラスな一面を持つ。猫と話をする。敬語を使い、人間とのあいだにほとんど区別をしない。彼に出会う人たちはそこに興味をもち、また惹かれていって、いろいろ手助けをする。トラック運転手の星野さんは結局、物語の最後までナカタさんとつきあい、彼の死を看取り、彼に代わって物語を完結させる。漫画のような世界だが、また奇妙にリアリティがある。

・ジョニー・ウォーカーはウィスキーのラベルの人物だ。彼は猫をさらい、殺して、まだ動いている心臓を食べる。頭を切り落として冷蔵庫で保管。もう一つの世界では彼は少年の父親で著名な彫刻家。ジョニー・ウォーカーはいわばメタファーなのだが、父親そのものよりもはるかに生き生きしている。

・話にエネルギーを持ち込む人物がもう一人。高松で星野さんを呼び止めてポンビキをするカーネル・サンダース。星野さんはとびきりの女の子を紹介されてすっかり満足するが、カーネル・サンダースはまた異世界への扉となる石のありかも教えてくれる。彼もまた誰か、あるいは何かのメタファーなのだが、実体の方ははっきりしない。

・物語を紹介していると、それだけで終わってしまいそうだが、ものすごくよくできている。ストーリー・テラーとしての村上春樹の本領発揮。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』以来の長編だが、読んでいて先の世界が楽しみという気持を久しぶりに味わった。彼の作品はほとんど読んでいるが、『ねじまき鳥』は1994年だから、面白いと思ったのは8年ぶりということになる。

・この物語のテーマは「喪失」と「メタファー」。登場人物のすべてが、心のなかに、あるいは記憶のなかに「喪失感」もっている。その空白部分を埋めるために、それぞれの人物が関わりあう。そして登場人物はまたたがいに、誰かのメタファーとして描きだされている。関係がないのはおそらく、星野さんひとりだけだろう。ナカタさんは少年のメタファーなのかもしれないし、佐伯さんのメタファーなのかもしれない。そして佐伯さんは少年の母親のメタファー。あるいは少年の方が佐伯さんが恋した青年のメタファーなのだろうか。もう一つ、この物語には、ギリシャ神話の「オイディップス」のメタファーという意味あいもある。

・おそらく、もう少したつと、『海辺のカフカ』の謎解きがにぎやかになるだろう。そうしたい衝動を誘発する作品。きっとこれは傑作ナノダと思う。 (2002.10.07)

町田康『告白』(中央公論新社)

・町田康の名前はずいぶん前から耳にしていた。ロック・ミュージシャンで作家、どちらも評判がいい。しかしなぜか、食指が動かなかった。たいした理由はない。たまたまの出会いをのぞけば、これは良さそうだ、おもしろそうだと感じられるまでは手を出さない。僕にはそんな傾向がある。それに、ここ数年、時間的・精神的な余裕がなくて、小説を読むことがほとんどなかった。学生の論文につきあうこと、ポピュラー文化の文献を網羅して、それに目を通すこと。特にこの2年ぐらいはそうだった。本が完成し、大学の仕事の負担も軽くなって、今まで読まなかった本に目を向け始めた。で、まず読みたいと思ったのが、町田康の『告白』だった。

・きっかけは、僕の恩師の一人である仲村祥一さんから、『告白』を読んでいるという便りが届いたことだった。感想は書かれていなかったが、仲村さんが町田康か、と思ったら、無性に読みたくなった。80歳になられたというのに、新しいものへの好奇心はまだまだ健在なんだ、とあらためて感心した。

・『告白』は大阪の河内が舞台になっている。時代は江戸から明治に変わる頃で、河内音頭の『河内十人斬り』が物語のモチーフのようだ。この話はまた、実際に起きた事件をもとにしている。河内の水分という村に生まれた熊太郎は成長しても百姓などやる気のない極道になる。親の嘆きや村の人びとの悪口や嘲笑も気にせず、好き勝手な生活をしている。そんな彼が、嫁をめとるが、遊び仲間に間男されてしまう。その兄には借金を踏み倒され、村の有力者でもある親父からはバカにされて相手にされない。そんな腹いせから、一家を赤ん坊にいたるまで惨殺する。そして、山中での逃亡生活と最後の自殺。ストーリーはおおよそこんなふうなものだが、700ページに近い大作で、なかなかに読み応えがあった。

・僕は河内音頭の『河内十人斬り』は聞いたことがない。というより、河内音頭にこんなトピカル・ソングがあったことも知らなかった。河内家菊水丸のCDも出ているようだ。これも3枚組で200分に及ぶ大作らしい。これはこれで、ちょっと聞いてみたい気がするが、『告白』を読んで興味を持ったのは、最後の一家惨殺や逃亡といった派手な場面ではない。むしろ、前半の生い立ちや成長の過程の話である。

・どういうわけか、熊太郎は物心ついた頃から思弁的な性格だった。何かしようとしても、人と話をしようとしても、同時に頭の中でいろいろと考えてしまう。だから、出てくることばも行動も、スムーズでないし、相手や周囲の人にすぐ理解されるものにならない。熊太郎はそれが、親にちやほや育てられてできた、現実との断層の自覚に原因があると、ぼんやり考えている。親は褒めても悪ガキ仲間はバカにする。ことばの真偽、ことの表と裏、外見と内面、表現したいことと、それを伝達することの間にあるズレ。熊太郎は、そんな疑問やささいなことにひっかかって、いつもまごまご、しどろもどろしてしまう。

・この小説のかなりの部分が、この熊太郎の錯綜する心の動きととまどいの描写で占められている。それは冗談ポク、まるで講談の講釈士がするように語られているから、けっして深刻な内面の苦悩といったふうには読み取れない。けれども、これは間違いなく、近代小説の大きなテーマだった、自己と世界の対立とそれがもたらす苦悩の物語で、きわめて深刻な話なのである。

・この小説のおもしろさは、こういった問題を大阪の河内の農村に置きかえたところだろう。しかも、時代は江戸から明治への変わり目である。「近代的自我」にとりつかれた子どもを日本に伝統的な村社会のなかにおいて。その成長過程を想像したらどうなるか。僕は読み始めてすぐにそんな興味を感じて、一気に読んでしまった。家の中の、村の中の異物の物語を、異物の内面の側から読みとっていく。それはまた、異物の抱えた苦悩と同時に、それを受けとめる家族や村の人びとの態度や行動の特異さを描きだしていく。異物の側から見れば、伝統的な村社会はまた、何とも奇妙にみえる世界なのである。

・しかし、読み進みながら、これは現在の日本に典型的な自己と他者、個人と世間の物語なのではないか、という気にもなってきた。外見的には近代化したかのような社会であっても、日本は精神的には、そして人間関係的には、相変わらず村社会のままである。そのことを自覚せずに子どもをちやほや育て、自分の思惑に当てはめようとするから、異物のような子どもや少年・少女が続出する。熊太郎は自分から進んで極道になったのではない。それは、親や世間のインチキさに嫌気がさし、世間の掟にしたがうことに消極的に反抗した結果なのである。

・読み終わって、再認識した。これは、ミニ極道が続出する現在の日本社会を描きだした物語なのだと。おもしろいキャラをした、並はずれた力量の作家が出てきたと思う。今度はCDを買ってミュージシャンとしての町田康を聴いてみよう。 (2005.06.28)

室謙二『インターネット生活術』(晶文社)クリフォード・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)

・ぼくはインターネットで遊びはじめてからまだ1年もたっていない。おもしろすぎて、ずいぶん時間とエネルギーを使った。で、もっと早くやりたかったと思うし、また、こんなことにかまけていてはいけないという気にもなっている。すごいものができたなと言えるし、目新しいオモチャにすぎないとも感じる。要するに、判断しかねているのである。
・室謙二は1982年か83年からパソコン通信をはじめたそうである。アメリカに住んでいて、インターネットとのつきあいももうかなりになるようだ。ベ平連の活動家として、『思想の科学』の編集者として、また『旅の仕方』『アジア人の自画像』『踊る地平線』(すべて晶文社)といった本を書いた人として、そして、ワープロやパソコンの先達として、ぼくにはずっと気になる存在であり続けている。その彼が、インターネットについての本を出した。文章の大半は『朝日パソコン』に連載していたものだが、ぼくはこの雑誌をほとんど買ったことがなかった。マック・ユーザーにとってはあまり役に立たないからである。

・だから、はじめて読んだのだが、おもしろかった。何より、パソコンが作り出す世界に強い興味を感じ、ともかく手を出してみようとする気持ちや行動の仕方に共感を覚えた。日本とアメリカをしょっちゅう行き来して、その比較をするという書き方がリアリティをいっそう感じさせる効果を果たしてもいる。もちろん、商業主義の波に洗われる状態や手放しの肯定には懐疑的だし、自分をふくめて奇妙な世界に囚われはじめている現在の世相を相対化する仕方も嫌みがない。そんな、おもしろいけど、胡散臭いこともたくさんあるんだよ、というスタンスが気に入った。
・『インターネット生活術』につづいて、クリフォード・ストールの『インターネットはからっぽの洞窟』を読んだ。彼は木星などを観察する天文学者だが、コンピュータには古くから精通していて、アメリカの政府や大学のコンピュータに侵入するハッカーを追跡した記録『カッコウはコンピュータに卵を産む』(草思社)の作者でもある。ぼくは『カッコウ.....』をまるでスパイ小説のようにわくわくしながら読んだ。だから、新しい本が出たことを知ってすぐに買ったのである。

・で、読んだ感想はというと、ちょっと複雑である。インターネットが世間で宣伝されているほどには、しっかりとしたネットワークではないこと、誰にとっても必要不可欠なものではないことの指摘はきわめて具体的で説得力もあった。たとえば、天文学者である彼は望遠鏡を覗いて星をつぶさに見ることが何より大事なのに、最近の大学生はコンピュータにばかり向かわされていて星を見る時間が持てないでいるといった指摘は、学生の話ではなく、ぼく自身の経験として同感できることである。実際、ぼくのコンピュータに使う時間は、読書に費やす時間を削り取ったものだが、今では、モニターを見る間に、本を開いている状態だからだ。
・彼はコンピュータはオリジナルなものは何一つ経験させてくれないし、道具としてもあくまで二次的なものだと言う。だから彼は、生きた現実にふれることを第一にしなければならないことをくりかえし主張する。ヴァーチャル・リアリティを第一の現実として感じる風潮のおかしさ、危険を力説する。ぼくも確かにそうだと思う。けれども、また、そうなったら、人間は、社会は、一体どうなるんだろうな、ということについて見てみたいものだという好奇心も持ってしまう。

・そもそも、現実って何?自然て何なんだろう?コンピュータが自分の思惑を離れてとてつもない様相を呈しはじめている。ストールはコンピュータ・ネットワークの開発に携わった者が持つ責任から、現状を強く批判する姿勢をとったのだろう。それはよくわかる。でも、ぼくは動き始めた世界の様子ともっと戯れてみたいし、つぶさに観察してみたいと思う。同じ草思社から出ているJ.C.ハーツの『インターネット中毒者の告白』も、そんな意味でおもしろく読んだ一冊である。 (1997.01.31)

津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社),中西秀彦『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)

・ワープロからパソコンに乗り換えたのは、DTP(卓上印刷)が理由だった。ガリ切りから始まって新聞やチラシ、ミニコミを何種類も作ってきたぼくには、印刷を手作りするというのは、長年の念願だった。で、やっとスムーズに日本語が使えるようになったマックに飛びついたが、プリンタ、スキャナ、それにフォント(字体)などを買うと、お金が150万円を軽く超えた。もう9 年も前の話だ。現在のマックは5台目で、ポストスクリプトのレーザー・プリンターが自宅と研究室に一台づつ、学科の共同研究室にはカラーのレーザー・プリンターも入った。お金はもちろん、時間もエネルギーも、ずいぶんな浪費をしたが、おかげで今のぼくには、印刷屋さんに頼まなければならないことは何もない、とかなり自信をもって言えるようになった。

・津野海太郎は晶文社の編集長を長年やってきた。本作りのプロだが、一方でDTPを使ったミニコミ作りもしてきた。『小さなメディアの必要性』(晶文社)『歩く書物』(リブロポート)『本とコンピュータ』(晶文社)『コンピュータ文化の使い方』(思想の科学社)、そして『本はどのように消えてゆくのか』。彼が書いてきた本を読むと、文化としての本、つまり内容だけではなく、装丁や編集、印刷技術といったものに対する愛着心と、コンピュータを使った新しい印刷文化に対する好奇心が伝わってくる。まさに同感、というか、ほぼ同じ時期から、ほとんど同じことに関心を持ち、時間とエネルギーとお金を注いできたことに妙な親近感さえ感じてしまう。

・中西秀彦は京都の印刷屋さんの二代目である。そして、印刷業界のコンピュータ化に積極的に関わり、なおかつその印刷文化との関係を考え続けてきている。『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)は前作『活字が消えた日』(晶文社)に続く、彼の2作目の本で、この二冊を読むと、印刷というか文字文化とコンピュータの間に折り合いをつけることの難しさにあらためて驚かされてしまう。

・先代、つまり彼の父親は、世界中の文字(活字)を集めることに熱中した人だった。だから1969年のカンボジア、タイ、香港からはじまって、死ぬ前年(1994年)のブルキナフォソ、ガンビアまで、文字(活字)を求めて訪れた国は軽く百ヶ国を越えている。京都には大学がたくさんあって、中西印刷にくる注文も大学や研究者からのものが多いようだ。当然、さまざまな言語の文字や豊富な書体の漢字が必要になる。だからこそ、どんな文字の注文にも応えられることが先代の誇りだった。中西秀彦はそのような父親の意志を受け継ぎながら、なおかつ、文字のデジタル化、つまり活字の放棄を決断する。

・ DTPを使って作れるものは新聞、雑誌、書籍、パンフ、チラシ、名刺と多様である。けれども、いろいろなホームページにアクセスし、また自前のものを作るようになってから、DTPが過渡的な方法だったのでは、という疑問をもちはじめた。DTPが活字を不要にし、レイアウトや切り貼りの作業をデジタル化したとは言え、最後はやっぱり、紙に印刷する。つまり、できあがったものは何世紀も前から作られていたものと変わらない。モニター上で作ったものを、紙に印刷して完成というのは、何かおかしくないか?そんな疑問を改めて、感じはじめたのである。ホームページに慣れるにつれ、モニタ上で読むことが、あまり苦痛でなくなってきたのである。この感覚の変化は、たぶん重要だ。

・津野も中西も、それぞれの本の中で同じような発言をしている。「印刷革命が最後までたどりついたと思ったのは、紙の上というごく狭い範囲の印刷でしかない。このあと印刷と出版は紙という呪縛から解き放たれる。」(中西)「この三年間は、私のうちでDTPへの関心がうすれ、それに反比例して、デジタル化されたテキストをDTPではないしかたで利用する方法への関心がつよまってゆく過程だったらしい。」(津野)

・辞書や事典などCD-ROMが充実してきた。膨大な情報量の中から一部分を検索するという作業はパソコンにとってもっとも得意なところである。紙に印刷された文章を1ページから順に読んでいくという作業がなくなるとは、もちろん思わない。けれども、そうやって読まなければならない印刷物は、実際には今でもすでに多数派ではない。ぼくは英語の本をかなり買うが、テキストの方がキイ・タームを検索しながら能率的に読めるのにと思うことがよくある。翻訳ソフトがもっと賢くなれば、一気に日本語に変換させて読むといったことだってできるはずだ。いずれにせよ、読書の質が変わっていくことは間違いないから、紙に印刷といった形態が主流でいられる時代がいつまでも続く保証はどこにもないはずである。せっかくDTPをわがものにしたぼくにはちょっと寂しいことだが、同時に、ホームページにもっともっと時間とエネルギーを割いてみたいという気もしている。(1997.06.16)

富田・岡田・高広他『ポケベル・ケータイ主義!!』(ジャスト・システム)

・ぼくが電話論を書いたのは10年前だった。正直なところ、もうそんなにたったのかと驚いてしまう。この10年の間に電話はずいぶん様変わりした。けれども、それについてぼくは、ほとんど何も発言していないし、携帯も PHSもポケベルも自動車電話もいっさい使っていない。要するに関心がないのだが、この10年の間に急に賑やかになったメディア論(議)にうんざりもしているのだ。だから最近出るメディア論の本は、ほとんど読む気にもならない。
・しかし、その電話論の本をいただいてしまった。5人の著者のうち3人と知り合いである。だから礼儀上も書評をしなければならない。正直困ったな、と思った。

・最近の電話については、経験的には嫌な印象ばかりが残っている。授業中になるチリチリのためにぼくは一体何度、思考を妨げられたことか?年のせいかよく度忘れをするようになったが、そのチリチリを気にしたとたんに、それまで話していたことを忘れてしまったりする。どういうわけかそのたびに無性に腹が立つ。

・腹が立つといえば、ドライバーの運転中の電話。これは車がどこか挙動不審だからすぐにわかる。何かおかしいなと感じると、たいがい片手運転をしているのだ。電車にはめったに乗らないから、近くで大声で話されたりするのもえらい迷惑だ。ポケベルやベル友などは勝手にしろという感じだ。

・こんな思いを持ちながら読み始めたら、たちどころにオジサンというレッテルを貼られてやっつけられてしまった。で、ますます読む気がなくなった。岡田君はともかく富田さんはぼくとあまり歳が違わないのに、ちょっと若い奴等に迎合しすぎていやしないか?自分の子どもが大きくなってきたせいか、高校生はもちろん、大学生にしても、ぼくにはやたら幼く思えてしまう。何で世の大人は、こんな連中をちやほやするのだろう?だから最近では、こわい、うるさい親父(オジサン)として接することを心がけている。たぶん彼らにとってはムカツク存在なのだ。

・で、この本だが、よくまあこれだけ、電話にまつわる話題を集めたものだと感心してしまった(けっして皮肉ばかりではありません)。内容は電話を通した若者論で、最近の若者に疎いオジサンとしては、ずいぶん参考になるところもあった。けれども、全体に明るいトーンで、神戸の酒鬼薔薇少年の世界を連想させるような記述(描写)がないのが物足りない感じがした。電話、パソコン、タマゴッチ、ビデオ、マンガ............。例によってくり返されるメディア・バッシング的な動きが気になる昨今、もっと影の部分について目を向けてもよかったのでは..............。 (1997.07.22)

ミッシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(勁草書房)

・映画に音があるというのは当たり前だが、しかし、初期の頃の映画に音がなかったのもまた事実だ。『戦艦ポチョムキン』のビデオにはピアノの伴奏がついているが、これがいかにもとってつけたようで、ボリュームを絞って見たほうがずっと自然な感じがする。もっとも、映画の上映は初期の頃から、伴奏つきというのが一般的だったようだ。

・映画と音、これは考えてみれば、ずいぶんおもしろいテーマだが、そんなテーマを真面目に考えている本を見つけた。もっとも新刊本ではない。ミッシェル・シオンの『映画にとって音とは何か』は1985年に書かれていて、翻訳されたのは93年だ。

・この本を読んで「へー」と思った所がいくつかある。一つは、映画に音がなぜ必要だったかという疑問。シネマトグラフがはじまったとき、音楽はすでにそこにあった。それは映写機の騒音がうるさかったからだという説があるそうだ。音を消すために別の音を必要とした。ありそうなことである。しかし、もっとそれらしい理由は他にある。音のない世界では人びとが不安にかられたからである。それはちょうど暗闇にいると口笛が吹きたくなる心境に似ているという。

・サイレントがトーキーになると、音はあらかじめ作品の一部として組み込まれるようになる。しかし、一体音はどこから聞こえるのだろうか?もちろんスピーカーからだが、映画製作者の狙いはそうではない。音はスクリーンの特定の場所から聞こえてくる。例えば、声はスクリーンにいる人の口からだし、音楽は映っている楽器からだ。そして観客もそのように聞くことにすぐ慣れた。

・ドルビーのマルチサウンドでは音は四方八方からやってくる。宇宙船の音が後ろからして、やがてスクリーンに腹の部分が大写しされはじめる。そして彼方に飛び去っていく。音はそれに合わせて、スクリーンの背後に消えていく。ハイパーリアルなサウンドというわけだが、そんなことができない時代でも、観客はそのように聞いていた。ちょうど芝居のちゃちなセットや小道具を、あたかも本物であるかのように了解してくれるように。シオンは宇宙船のリアリティといっても、真空の宇宙では、実際には音はしないはずだという。映画は最初から、本当のことではなく、本当らしいと人びとが感じることを再現してくれるメディアだった。

・シオンは映画館で聞かれる音には三つの世界があるという。一つはスクリーンに映っている世界からの音。それから、スクリーンのフレームの中にはないが、その外にあると想像できる世界からの音。例えば誰かの声がして、やがてその人物がスクリーンに現れるといったような場合。音はもちろん、このフレームの内と外を自由に行き来して、それがかえってスクリーンの世界に奥行きを与えることにもなる。三つ目はスクリーンのフレームの内にも外にも存在しないはずの音。それは自然には存在しないが、スクリーンには不可欠の音楽である。状況や人物の感情などを代弁し、あるいは強調させる音。シオンはそれを、聞こえていても聴かれてはならない音楽であると言う。自然の世界に音楽はない、しかし映画には、意識されることはないが聞こえてくる音楽がある。不自然な話だが、そうであってはじめて自然になる。考えてみれば、映画は不思議な世界である。

・シオンはしかし、音楽がより深い意味を持つのは、それが場面や登場人物に対して無関心である場合だという。例えば、空に輝く星を見て、人はそこにロマンチックな思いを抱くが、星にとってはそんなことはどうでもいい。けれども、たとえそうだとしても、人は、やっぱり星を自分とのつながりや関係のなかでみたいと思うし、実際そのように考え、感じとる。この、星のような音楽こそが、映画音楽の真髄なのだというのである。確かにそんな気もする。映画の世界はあくまで、人間の目や耳や観念を通して描かれ、認識される世界なのである。

・けれども、そうでもないぞ、と思う映画もある。最近の映画にはロック音楽がよく使われる。それは星のように、こちらから思いを馳せるものではなく、向こうからやってきて、否応なしに耳から侵入して鼓膜をふるわせ、頭蓋骨を振動させる。例えば「トレインスポッティング」、あるいは「ブルー・イン・ザ・フェイス」(どちらもレビューで紹介済み)。ジム・ジャーミシュやヴィム・ヴェンダースの映画にもこの種の音楽がよく使われる。よく聞こえてきて、聴かれることをあからさまに主張する音楽。しかも、この音楽がなければ、映画に描かれる世界自体が成立しにくくなってしまう。一体この音は何なのだろうか?それは、この本には書かれていない、新しい疑問である。(1997.08.17)

ジョン・フィスク『テレビジョン・カルチャー』(梓出版社)

・テレビはずっと二流のメディアと言われ続けてきた。ニュースは新聞、ドラマは映画や舞台、そして音楽は、コンサートやレコードとの比較で、いつでもけなされてきた。テレビは映画とちがって、俳優がそこで演技をする場所ではないし、コンサートともちがって歌や演奏によって自分の世界を表現する場でもない。どんな人でも、いわば素の顔で登場することを要求するし、そのつもりがなくとも裸にされてしまう。だからテレビには出ない俳優や歌手はアメリカにも日本にもかなりいた。

・そんなメディアに対する評価が変わりはじめたのは、日本ではたぶん八十年代になってからだろう。カラーの大画面、ヴィデオ、お金も手間もかかったおもしろいCM、ニュース番組の変化、種類も中継方法も多様化したスポーツ番組、そして衛星放送。ヒットする映画も音楽も、流行も、テレビが発信源である場合が少なくない。今やテレビなしには、文化はもちろん、政治も経済も語れない。そんな時代になった気がする。

・しかし、それはテレビというメディアから生産される番組が作品として充実してきた結果を意味するものではない。J.フィスクは『テレビジョン・カルチャー』のなかで、テレビの力は、テレビによってつくられるテクストの完成度によってではなく、むしろその未完成さによって生み出されるのだという。つまり、作品として完成させ、意味を確定するのは、最終的には視聴者に任されているのだという。

・たとえば、映画館にいる観客は、大きなスクリーン映像とスピーカーからの音響を集中して受け取り、それを一つの作品として味わう。あるいは小説の読者も、たとえ一気に読まなくとも、最初のページから読み始めて、最後に読み終わるまでを一つの作品として受けとめる。ところがテレビの視聴者は、たいがいテレビの前でじっとしてはいない。テレビから受け取るテクストは、視聴者にとって、現実の場におけるさまざまなテクストのなかの一部にしかなりえない。しかも視聴者は、気まぐれにリモコンで次々とチャンネルを変えたりする。すべてのチャンネルを一巡りさせるのに必要な時間は数秒だから、数分の間に何十回、何百回とチャンネルを変えることにもなる。視聴者にとって、一つの番組が一つの完結した世界であるという意識などは、最初からほとんどないに等しいのである。

・もちろんそんなことは制作者とて先刻ご承知である。というよりは、テレビ(商業放送)は、数分おきに挟み込まれるCMによって成り立つメディアとして始まったのである。CMの混入はシリアスなドラマであろうと、深刻なニュースであろうと関係ない。まさに「釈迦の説法、屁一つ」といったことが常態化しているのだ。だからもちろん、テレビは、社会的にはやっぱり、新聞にも映画にもレコードにもかなわない、ダメなメディアだとみなされている。ダメだといわれながらますます強力になるテレビ。

・フィスクはそのテクストとしての未完成さはまた、日常の世界で私たちがさまざまに人びとと関係しあったり、雑用仕事をしたり、ちらっと興味や関心、あるいは欲望を感じたりする、そのスタイルそのものだという。テレビは私たちの日常に、何の違和感もなく入り込み、そして私たちの日常そのものになってしまった、というわけである。

・ぼくはCMに邪魔されるのが嫌いで、BSで映画やスポーツやドキュメントばかり見ているが、たまに民放を見ると、やっぱり、リモコンが手から放せなくなってしまう。BSやCSとCMのはいらないテレビがますます増えてくると、テレビと視聴者の関係はまた、変わっていくのかもしれない。そんなことを考えながら、ぼくはわりと集中して今晩もテレビを長時間見てしまった。 (1997.10.01)

中野不二男『メモの技術 パソコンで知的生産』(新潮選書)

・大学で講義しているときに見る学生の行動に、最近気になることがいくつかある。私語、携帯電話のための途中退出、再入場、あるいは手をあげての「トイレ行ってもいいですか?」。けれども、そんなことはたいしたことではない。うるさきゃ怒鳴って静めるまでだし、途中の出入りは無視することにしている。ところが、これは何とかしなければと考えてしまっていることが一つある。ぼくが一番気になっているのは、彼らがしているノートのつけかたである。

・最近の大学生は、ぼくが黒板に書いたことしかノートを取らない。まったく同じように写すから、ときどきおもしろがって赤や黄色のチョークを使うと、一斉に筆箱からマーカーやボールペンを取り出して、カチャカチャといった音が教室内にこだまする。しかし、そんな彼らをからかっているうちに、彼らがつけるノートとはいったい何なのか疑問に思うようになってしまった。ぼくは、黒板に書くことの4倍も5倍もの話をするから、黒板だけでは話の骨組みしかわからないはずである。その骨組みに、話を聞きながらメモを書き込んでいく。そうしなければ、ぼくの話は再現できないはずだが、学生たちはぼーっと聞いていることが多い。

・実はぼくの奥さんは予備校で英文法を教えている。彼女に学生のノートの付け方の話をすると、即座に「当たり前よ!」ということばが返ってきた。予備校では、テキストのどこに重要だという印をつけるのかまで懇切丁寧に指示するし、大事なことはすべて黒板に書いて、何度もくりかえし読んでは強調する。そんな話を聞きながら、あー要するに「指示待ち人間」という性格が人の話を聞く姿勢にまでしみこんでしまっているのだな、と考え込んでしまった。

・人の話を聞くというのは、同時に自分で理解するという作業をしなければ、ただ右から左に流れていってしまうばかりである。主体的な理解がなければ、疑問や批判も湧いてはこない。これでは質問や反論が出てくるはずもない。これははっきり言えば、小学校から高校までの授業での教え方に責任がある。しかし、そんなことを言っても仕方がないので、今さらやっても手遅れかもしれないけれど、メモの取り方を何とか教えて習慣づけなければならないと思った。

・学生は授業がおもしろくないと言うけれど、主体的に聞くという姿勢にならなければ、どんな授業も絵に描いた餅でしかない。本も同じで、学生たちは本を読むのはおもしろくないし、いやいや読まされるから嫌いだという。彼らに質問すると、レポートや論文を書くときに、大事なところを抜き書きしたり、書名や著者名、出版社名、それに発行年などをメモしたりはしないと言う。それでは、まともなレポートも論文も書けないはずだし、本のおもしろさも発見できないはずである。本のおもしろさは何より、主体的な「読み」のなかから味わえるはずのものだからである。そのようにして本を読めば、そこから、次に読みたい本や考えてみたいテーマが現れてくる。学生たちは、結局、このような基本的な技術を教えてもらわずに大学まで来てしまっているのである。

・と書いているうちに、ずいぶんな分量になってしまった。肝心のブック・レビューをするスペースがない。それでは、この本の著者に失礼というものである。しかし、けっして話のだしにするつもりだけでこの本をとりあげたのではない。

・この本には、物書きを本業にする人にとっての資料やデータ、あるいはさまざまな情報収集とその整理、そして文章にまとめあげるときのそれらの使い方などが書かれている。京大型カードからパソコンのデータベースへの移行といった道具の問題と、簡単なメモをどうとって、利用するかといったノウハウの問題まで、きわめてわかりやすく書いてある。これなら、大学生にも理解できるだろう、と思ったし、読みながら実践させれば、身に付くようになるかもしれないと考えた。来年のゼミではまずこの本をテキストにして、学生たちの受け身の姿勢を崩してやることにしよう。 (1997.11.17)

R.ブラックのWebデザインブック(Mdn) 他

・ホームページを作りはじめてもうすぐ1年半になる。まったく新しいメディアということも言えるが、同時に、これはあくまで雑誌や新聞の延長上にあるものだとも強く感じている。一枚の紙に記事や写真をどう配置するか、文字の大きさや種類はといった工夫は、まさに本や雑誌のレイアウトやデザインの問題だ。もちろん本に比べれば、ホームページはずっとビジュアルなものだし、動画や音も使える。ホームページは、その意味では、映画やテレビ、あるいはレコードの延長上にあるとも言える。

・けれども、やっぱり、ホームページは基本的には印刷メディアの系譜に属している。少なくとも現在までのところは、それで間違いはない。自分で作りながら、そんなことを実感していたが、やっぱりそうかと確認させてくれる本があった。『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』である。

・ロジャー・ブラックは雑誌『ローリングストーン』の表紙デザインで有名な人である。彼がその雑誌で最初にデザインしたのは右のディランの表紙だった。ロジャー・ブラックは雑誌のデザインから入って、いち早く、ホームページのデザインのおもしろさに気づいた。

・彼が力説するのは、印刷物の伝統に載ることだが、その第一は視覚的な重要性である。例えば、色合いは赤と黒と白の組み合わせに勝るものはないが、それは、グーテンベルグが印刷したバイブルから気づかれていたものだという。ちなみに『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』は全頁がその3色で作られている。

・伝統の第二は字体である。インターネットが放送よりも印刷物に近い存在であるからには、無意味な画像や、画像の使いすぎは失望感を与えるだけである。大事なのは、むしろ適切な書体の使い方にある。ロジャーはここでも、デザイナーの伝統的なアプローチを学び、その巨人の肩に乗れという。ウィリアム・モリス、グスタブ・スティックリー、フレデリック・グーディ.........。

・本はもともと読まれるものである以上に見られるものとして作られた。その意味では、ホームページは、文字に書かれた内容だけが重視されるようになった印刷物の歴史にもう一度、デザインの重要さを認識させるものになった。読ませるためには注意を惹きつけなければならないし、次の頁、そのまた次の頁と読みすすめさせるためには、かなりの工夫が必要になる。

・表紙はポスターでなければならないし、どの頁にも、それなりの内容が盛り込まれなければならない。しかし、大文字の多用や文字間のあけすぎ、小さすぎる文字、スクロールが必要な頁、遅くなるだけの大きな画像、多すぎる色数などは避けること。この本に書かれた指摘はしごくごもっともなことだが、実際に作っているとまた、それがきわめて難しいルールであることも実感してしまう。

・もう一冊リンダ・ワイマンの『Webワークショップ』は色合いと見やすさ、引き立ち安さを丁寧に解説した本である。こんな本を読んでいると、ホームページを作りながら、気分はすっかり1世紀以上前のウィリアム・モリスの時代の本作りのおもしろさにはまりこんでいってしまう自分を自覚せざるを得ない。 (1998.04.18)

スポーツとメディアについての外国文献

・井上俊さんと亀山佳明さんが編者になって『スポーツ文化を学ぶ人のために』という本を世界思想社から出版する計画を立てた。で、ぼくのところに、「スポーツとメディア」というお題目がまわってきた。執筆者は日本スポーツ社会学会の会員が中心で、ぼくも所属しているのだが、実は今まで一本もスポーツ論を書いたことがない。編集委員をやったりして多少申し訳ない気もあったから引き受けたが、書くあてがあるわけではなかった。

・話は1年前に来て、締め切りが夏休み明け。最近一番関心をもっているメジャー・リーグのことでも書こうと考えて、夏休みに入ってから文献を探しはじめた。ところが役に立ちそうな本は日本語ではほとんどない。あわてて研究室の本棚を探し、大学の図書館で検索し、あるいはAmazon comで注文し、井上さんからも1冊お借りして読み始めた。そうしたら、今年の夏は蒸し暑い。じっと寝転がっていても、体中から汗が噴き出してくる。とても本など読む状態じゃなかったが、1ケ月で一応目を通しておかなければならない。そんなわけで、今年の夏休みは、ぼくにとってはちょっとつらい日々になった。などと、ついつい愚痴っぽくなる前置きはともかくとして、読んだ本の紹介をしよう。

・おもしろかったのは次の2冊。どちらも、第二次大戦後に急変するアメリカのプロ・スポーツの歴史を内容にしている。最初はラジオ、そしてテレビ、そこに人種の問題とお金の話が絡まってくる。それらによってスポーツがいかに変わったか。読んでいて「へー」と思うことの連続だった。

*Benjamin G.Reader, "In Its Own Game ; How Television has Transformed Sports", Free Press, 1984
*Randy Roberts and James Olson "Winning is the only thing; Sports in America since 1945" The John Hopkins U.P. 1989 あと、アメリカにおける人種とスポーツをテーマにしたもの
*Richrd Lapchick,"Five minutes to midnight; Race and sport in the 1990s, Madison Books, 1991.

・大金が動くアメリカのカレッジ・スポーツ、特にフットボール(NCAA)を批判したもの
*Kenneth L. Shropshire, "Agents of opportunity; Sports agents and corruption in collegiate sports", Univercity of Pennsylvania Press, 1990.

・同じ著者が、サンフランシスコ、オークランド、そしてワシントンDCなどのいくつかの都市を取り上げて、野球やフットボールのチームとその本拠地の関係を扱っている
*Kenneth L. Shropshire, "The sports franchise game; Cities pursuit of sports franchises, events,stadiums, and arena",Univercity of Pennsylvania Press, 1995.

・イギリスのスポーツとメディア、特にテレビとの関係を分析した次の本にはアメリカとはちがうイギリスのお国事情がはっきりあらわれている。
*Garry Whannel, "Fields in Vision ; Television Sport and cultural Transformation", Routledge, 1992

・ぼくはここ数年、ロック音楽を材料に20世紀の文化的な変容を調べてきたが、スポーツについての文献を読んで、両者の間に多くの類似点があることに気がついた。考えてみれば、どちらもポピュラー文化の大きな柱であることははっきりしているのだが、スポーツについては本気で考えたことがなかったのだとあらためて実感した。

・で、その類似点だが、メディアとの関係が非常に強いこと、成立の基盤に生活の豊かさと余暇(余裕の時間)が必要だったこと、若者という世代の出現、そしてアメリカの黒人の存在などがあげられる。
・原稿はもうほとんどできたのだが、これ以上のことについては、本が出たらぜひ買って読んでほしいと思う。どうぞよろしく。 (1998.09.09)

尾崎善之『志村正順のラジオ・デイズ』(洋泉社)沢木耕太郎『オリンピア』(集英社)

・ひきつづき、メディアとスポーツ関連の本について、というわけでもないんだけれど、今週もまた似たような話題です。

・ラジオの実況中継がスポーツを大きく変えたことは、すでによく言われている。しかしこれまで、具体的な話も、理論的な展開についても、ラジオについてはそれほど豊富ではなかった。学生に聞いても、ラジオはほとんど聴かないと言う。聴いているのはお年寄りばかり。テレビその他の新しいメディアに押されて、ラジオはほとんど忘れられようとしている。そんな気がしないでもなかった。

・ラジオが話してと聞き手との間に直接的なコミュニケーションの世界を作りだすこと、それがしばしばきわめて親密に感じられることを指摘したのはM.マクルーハンである。彼はそのような世界の特徴を「部族的連帯」と呼んだ。このような特徴をうまく使ったのは、一方ではA.ヒトラーやF. ルーズベルトで、ラジオというメディアが情報操作に弱いことを示す好例としてよく紹介される。けれども他方では、ラジオはロックンロールやロック(FM)の登場には欠かせないメディアになったし、アメリカのプロスポーツ、特にメジャー・リーグを国民的なスポーツにするのにも大きな役割を果たした。日本では、何より大相撲、そして、オリンピック。

・ラジオが人びとに新しい世界を一つ提供したことはまちがいない。すぐ目の前でしゃべっているかのように感じられるアナウンサーの声が伝えてくる世界は、聴き手が想像力を働かせてはじめて再現できるものである。その現実とも空想ともつかぬ不思議な世界に対する驚き、それによってもたらされるきわめて強い興奮。これはテレビを知ってしまった者にはわからない感覚である。

・志村正順は昭和11年にNHKに入りスポーツ放送の主流がテレビになる東京オリンピックの頃まで、大相撲、東京六大学野球、あるいはプロ野球やオリンピックの中継で第一線の人気アナとして活躍した。スポーツ中継はあくまでジャーナリズムであるから、ニュースと同じように正確に、偏りなく、冷静に伝えなければならない。これがNHKの基本方針だが、ラジオによるスポーツ中継はけっしてそうではなかったようだ。誇張や脚色、あるいは全くの作り事が、時に聴いている者に、強い迫真力をもたらす。彼の語りの特徴はまずそんなところにあった。

・沢木耕太郎の『オリンピア』はベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』とその作者であるレニ・リーフェンシュタールとのやりとりから始まる。この映画の中には、実写ではない部分、わざとネガを反転させた箇所がずいぶんある。すでに90歳をすぎた作者の記憶は定かではないが、沢木はそれを、リアルに見せるための工夫だったと判断する。リアル、あるいは迫真力とは何か?たとえばベルリンで有名なのは例の「前畑がんばれ!前畑勝った!」の実況中継だが、ここにはいくつかのことばの連呼以外に何の描写もないにもかかわらず、聴いていた日本人を興奮の渦に巻き込んだという事実がある。

・映画『ラジオの時間』が暴いていたように、ラジオにはそれらしく聞こえさえすればいいという特徴がある。口だけ、音だけでどうにでもなる世界。今さらながらに、おもしろくて、怖いメディアだと思うが、そのような世界に浸りきるナイーブさを、残念ながら僕たちはもう持ち合わせてはいない。ここに紹介した2冊は、まさにそんな古き良き時代に思いを馳せるノスタルジックな本という感じで読んだが、ラジオのメディア的な特質は、もっともっと考えられていいテーマだとも思った。 (1998.09.23)

富田英典・藤村正之編『みんなぼっちの世界』恒星社厚生閣

・「みんなぼっち」とは聞き慣れないことばだ。この本を手にしての第一印象はそんな感じだったが、どんな意味だろうかと、ちょっと興味も持った。


じめじめした人間関係は嫌いだけど、ひとりぼっちになるのも嫌だ。ありのままの自分でいいという思いと、得体の知れない他人とつきあう際の不安との間の葛藤を処理するのが、<みんなぼっち>という形式だと言えよう。


・最近の若い世代の人たちの自己感覚、人間関係の特徴である。確かにそうだ。たとえば、僕がつきあう学生たちの中には、放っておけば、たがいに親しくなる努力をしない。しないと言うよりは、どうしていいかわからないように見える人たちが目立つ。意見を言ったり議論をしたりするのも苦手のようだ。号令をかけたり、強制したりしなければ、いつまでも<ひとりぼっち>のままでいる。

・ところが他方で、彼らは、頻繁に携帯電話でどこかの誰かと連絡を取り合っている。HPの掲示板なども好きだし、コンパなど場を設定すれば、盛り上げるように努力する。ここでは<みんな>になることに賢明なのだ。<ひとりぼっち>でいることと<みんな>であることのジレンマ。それは今にはじまった自己感覚や人間関係の特徴ではないが、その性格には確かに今までとは違うわかりにくいものがある。

・<ひとりぼっち>になることは、自分が自分であることの確認のために欠かせない。他人とは違う私、つまり「アイデンティティ」の獲得には、それを遮る他者を乗り越えること、あるいは逃げることが必要になる。<ひとりぼっち>には単に物理的に一人になることばかりでなく、他人との違いを公言することも含まれる。

・けれども、現代の若者には、自分を遮る他者はいない。物わかりのいい親、少ない兄弟姉妹。親戚や近所の口うるさいおばさんや、怖いおじさんの消滅。限りなく広く浅くなる友達づきあい。「困難をバネにアイデンティティを獲得する方法」が閉ざされていれば、関心の中心は自然と排他的な形で自分自身へ向かうことになる。けれども、他者の評価のない自己確認はまた、きわめてうつろなものにしかならないから、関心の矛先はまた、他人にも向かわざるを得なくなる。そこで………。


自分の生き方が危うい均衡の上にかろうじて成り立っていることがわかっている時、しばしば人は、なおさら強固にその部分を防衛しようとする。現代の若者たちにも、他者への強い関心をもち、かつ自分の生き方が不確かであるからこそ、互いのあいだにプライバシーを保護するための距離を厳格に取ろうとするのではないだろうか。

・この本には、親しい友達づきあいのような情緒的人間関係(第一次的)と公的な場での役割的人間関係(第二次的)のあいだに、いわば 1.5次空間と呼ばれるような関係が指摘されている。それはパソコン通信やテレクラ、ダイヤルQ2といったメディアによって成り立つ場だが、携帯もふくめて、現実に顔をつきあわす場、あるいはその場の脚色、そしてメディアによるつながりが、それぞれどういう特徴を持つのか考える上で面白い視点だと思った。

・賛成できる視点をもう一つ。「アイデンティティ」というと他人とは違う確固としたもの、個性的なものと考えがちだが、その形成期である「青年期」を「19世紀から20世紀初頭にかけて生成し、20世紀後半に終焉をむかえている現象形態」とするところ。21世紀には人はどんな自己感覚と人間関係を基盤に生きていくのだろうか?僕は強い自己主張に慣れた世代の一人だから、そんな想像はおもしろくもあり、また恐ろしくもあるように感じる。 (1999.08.04)

フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房

・ 久しぶりに読み応えのある本に出会った。450頁で5800円。値段もいいが重みもある。けれども僕は、この本をもって新幹線を2往復した。それほど読みたい気にさせた本だった。

・『グラモフォン・フィルム・タイプライター』、つまりこの本はレコードと映画とタイプライターについての本である。レコードと映画はともかく、タイプライターは今までほとんど注目されることはなかったから、本を見つけたときには新鮮な感じがした。

・ワープロが日本で使われはじめたとき、手書き文字の良さと比較した批判や、鉛筆やペンで紙に書くこととはまったくちがうやり方に、文体はもちろん、思考の仕方までかわってしまうと危惧する意見が多く出た。字が下手で筆圧が強い僕には、そんな話は耳にも入らなかったし、文語体の硬い文章がなくなれば、もっともっと読みやすい文章が現れるだろうと思った。

・この本を読むと、そんな議論が一世紀も前にタイプライターの登場とともに行われていたことがわかる。書くことを独占していた男たちの多くは、この新しい道具になじむことには消極的で、キイボードに慣れた女性たちが秘書などとして職を得るきっかけになったようだ。一世紀という時間を経て、日本ではパソコンが同じような仕事内容の変化をもたらしている。パソコンとは何より「タイプ文化」なのであった。


何とも皮肉な話だが、基本的には男性ばかりであった19世紀の帳簿係、事務員、作家の助手たちが、苦しい訓練を経て修行した彼らの手書き文字にあまりに誇りを抱いていたので、レミントンの侵略を七年の間うかうかと見過ごしてしまった。


・おもしろい話は他にもたくさんある。目の悪かったニーチェが1882年にタイプライターで詩を書いたこと、89年に出版されたコナン・ドイルの『アイデンティティの事件』では、シャーロック・フォームズがタイプライターのトリックを見破っていることなど。あるいは、精神分析学をはじめた S.フロイトが明らかにした「無意識」が、フォノグラフに出会うことで発見されたという話などは、まさに、目から鱗という感じで読んでしまった。


精神分析家は、自分の耳にいわば魔法をかけて、それをあらかじめ技術的な道具にかえておかなければならない。他者の無意識がもたらす情報をふたたび抑圧したり、選別してしまったりしかねない。………そうした患者たちを見る医師はだが、理解しようとすることによってこの無意味を何らかの意味に戻してしまってはいけない。


・フォノグラフは音をそのまま記録する。決して取捨選択したり、意味づけたりはしない。フロイトは1895年にいち早く電話を診療所に置いたそうだ。他人の心を解釈なしにそのまま表出させること、フロイトはそのような方法の可能性を電話にも見つけている。「無意識の振動は電話のような装置によってしか、これを伝えることができない。」彼はその無意識のありかを心ではなく「心的装置」と呼んだ。


・ビートルズのレコードはアビー・ロードにあるEMIのスタジオで作られたが、その装置はドイツ軍から没収した磁気テープをもとに作られたテープレコーダーだった。そのほか、ヒトラーが演説のために作らせた音響システムとロックコンサートでのそれとの類似性、あるいは、ハイファイ・システムと戦闘機や潜水艦の関係などなど......。メディアの世紀が世界大戦の世紀であったこともまた、この本は確認させてくれる。(1999.08.11)

佐藤正明『映像メディアの世紀』(日経BP社)

・ビデオについては腹立たしい思い出がある。下の息子が生まれたときに、僕の両親が出たばかりのソニーのベータムービーをプレゼントしてくれた。孫を映して送れというということだった。めずらしもん好きの僕は、二人の息子をせっせと撮った。1981年だったと思う。当然ビデオレコーダーもベータを買った。

・品質には不満はなかった。持ち運びは楽ではなかったが、従来の機種に比べたら雲泥の差があった。けれども、ビデオは徐々にVHSが体勢になり、買い換えの時期にはベータは消えてなくなっていた。2台目のカメラを8ミリ、レコーダーをVHSにせざるをえなくなる。互換性はもちろんないから、必要なものは全部ダビングしなければならなくなった。

・これが教訓になったせいか、レコードからCDに乗り換えるのはずっと後になった。けれども、マッキントッシュを見たときには、日本語がうまく使えないとか、PCとは互換性がないという批判や悪口があったにもかかわらず、100万円以上の金をはたいてアメリカからの並行輸入品を一式買ってしまった。おかげで、ずいぶん楽しい世界を知ることができたが、互換性のないこの道具にまつわる悩みはビデオ以上だった。

・佐藤正明の『映像メディアの世紀』はVHSを開発したビクターの高野鎭雄の物語である。高野は、テレビの開発者として有名な高柳健次郎がいた浜松高等工業(静岡大学)の出身だが、彼が入ったときには高柳はすでに退官していた。それが、就職したビクターで偶然再会する。高柳の役目は当然、テレビの商品化で彼は同時にビデオの開発も目論んでいた。ビデオは業務用から始まり内外のメーカーが様々な方式を開発するが、家庭用に焦点が合うのは 70年代に入ってからで、その主導権争いをしたのは、ソニーのベータとビクターのVHSだった。高野はそのVHS開発の責任者になった。

・この本を読んでいると、新技術の開発と普及、そして規格統一といった動向が、技術というよりは、陣地獲得の戦術合戦であることがよくわかる。高野は技術者である以上にすぐれた戦略家だった。ビクターは松下の傘下にあって、その意向を気にしつつ、また独自性も出さなければならない苦しい状況にあった。かたやソニーには技術とアイデアに絶対的な自信を持つ先進的な企業というイメージが定着していた。松下を味方につけ、その他の家電メーカーを結集させるにはどうしたらいいか。高野は一人知恵を絞り、企業との交渉や連絡に奔走する。

・国内メーカーの多くを味方につけたVHSはアメリカを松下が、そしてヨーロッパをビクターが制圧する。ベータとVHSの試作機第1号が1972年で、勝負に決着がついたのは1988年。その年ソニーはプライドを捨ててVHSを自社製造し始めた。ビクターの勝利だが、『映像メディアの世紀』は一企業の成功よりもっと大きな野心、つまり統一規格を作ることに懸命だった高野鎭雄を描き出す。600ページを越える壮大な物語で、僕は例によって新幹線にも持ち込んで一気に読んでしまった。

・家電や自動車など、20 世紀の後半はこと技術については間違いなく日本の時代だった。そこで働く人たちの生き生きした姿は、この本にはもちろん、ほかにもいくつものノンフィクションの作品になって描き出されている。僕はそんな話が好きだが、いつも同時に感じるのは、その世界のほとんどが男たちだけによって作られること、あるいはハードの話で終わっていて、ソフト面への応用となると、外国の話ばかりになってしまうということである。

・高野鎭雄はビデオの世界規格を達成したが、彼には家でビデオを楽しむ時間がなかったし、あったとしてもそうする気もなかった。ビデオに捧げた人生はまた、家にはほとんど戻らない20年の生活だった。ビデオ・カメラで子どもを撮り、マッキントッシュでニュースレターを作ったぼくの20年とはずいぶん違う生き方だなと思った。

・もちろん、ハードを開発することと、その新しい道具を使ってソフトを開拓することはまったく別の世界だし、それらを買って楽しむ世界もまた違ったものである。けれども、日本がハードばかりに突出したいびつな国であることも間違いない。ハードからソフトへの転換。それはたぶん、企業戦士が仕事から生活へ目を向けること、女たちがもっともっと仕事の第一線に参加すること、あるいは若い世代がベンチャー・ビジネスに野心を持つことといった変化を土台にしなければ可能性も見えてこないにちがいない。ハードの開発はもちろん大事だし、おもしろいことを否定する気もない。けれども、ぼくは日本人は、もっともっと、それを使って何かを作りだすこと、あるいは生活を楽しくすることに関心を向けるべきだと思う。 (1999.12.15)

多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他

・大学院の授業でベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を読んだ。メディアについての基礎文献にふれるためのもので、ぼくにとっては何回目かの通読だが、やっぱりおもしろかった。これほどメディアの変容が激しい時代であっても、中身が陳腐化することがない。だからこそ、目先の新しさを追う新刊本に惑わされて、大事な古典ともいえる本を見逃さないでほしい。学生たちにつたえたいことは何よりそこにあったが、たまたま多木浩二の『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』がでて、また新しい読み方を教えられた気がした。

・『複製技術時代の芸術作品』でおさえるべきことは近代化によって生じた芸術の「礼拝的価値」から「展示的価値」への変化。そして複製技術の登場によって引き起こされた芸術がもつ一回性、唯一性の根拠となる「アウラの消滅」。さらに、そこから展望される「文化の民主化」の可能性といった点だった。しかし、多木浩二は、ベンヤミンがここで見ていたのは、アウラを喪失した芸術が「史上初めて巨大な遊戯空間に生きる場を見いだす過程」だという。写真とそれに続く映画は、人間を疎外する技術に代わってあらわれた第2の技術。それは人間を解放する可能性をもった遊戯空間をつくりだす。

・もっとも、大衆の人気を獲得しはじめた映画は、すぐに大衆によってではなく映画資本、さらにはファシズムによってコントロールされるようになる。スター崇拝と観客礼賛。それは大衆が真に望むものではなく、望んでいると思いこまされるものでしかない。だから、そこでは相変わらず人びとは技術に操られたままでしかない。そうではなくて、技術を使って大衆が自らを解放する道の可能性………。

・ベンヤミンが見ていたのは絶望のなかのほんの一筋の光明だが、写真や映画はベンヤミンが期待した世界を実現したのだろうか。そうともいえるし、そうではないともいえる。その曖昧な展開をベンヤミン自身も、見通していたが、何よりそこがベンヤミンの洞察力のすごさで、多木浩二が力説しているところである。

・『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を読んで、彼の別の本も再読したくなった。まず『ヌード写真』。裸、それも女性のそれは絵画の時代から一つのテーマだった。当然写真の時代になってもそれは変わらない。と言うよりは、ますます強調されるようになった。写真の始まりはダゲレオタイプだが、もちろん、その発明と同時にヌードは登場する。しかし、その写真は公にはされない。あくまで個人の秘蔵物として珍重される。多木は、それを公に普及した個人や家族の肖像写真と対にして考えるべきものだという。近代社会のなかでは性は結婚した男女がつくるプライベートな世界、つまり家族のなかに閉じこめられる。そしてさらに、家族のなかでもまるで存在しないものであるかのように扱われる。しかし、それが、なくてはならないこと、少なくとも男にとってはやらずには我慢ができない行為であることはいうまでもない。多木はヌード写真が生まれ、珍重された裏には、こんな社会の構造があるという。

・ヌード写真は、男の性的欲望が描き出す世界。だから写真に映っているのが陰毛や性器を露出した女ばかりになるのは当然である。ヌード写真は男がする視姦行為にほかならなかったからである。そして、20世紀の後半になると、そんな写真が雑誌のピンナップや広告、映画、さらに日本では、テレビでも溢れ出すことになる。それは性や性表現の自由の実現なのだろうか。多木は、そのような写真が相変わらず男による視姦行為の対象であること、性的欲望を物的欲望に転換するための手段として使われていることをあげて、一面では、ダゲレオタイプの時代から性の感覚に変化は見られないのだという。

・しかし、他方では、このような写真の氾濫はそれを限りなく無意味化、無力化する。限りなく無限に近い力が、同時に限りなくゼロに近い空虚なものでしかない世界。写真はまさにそのような現代社会の特質の象徴である。

・『ヌード写真』はヌード写真を材料にして、社会や政治や経済について考えた本である。ぼくはこのような視点に共感するが、それは多木浩二のもう一つの著書である『スポーツを考える』でも変わらない。スポーツはナショナリズムの高揚手段としてくりかえし使われるづけてきたが、逆にまた、国境や人種の壁を真っ先に破る働きもしてきた。あるいは、アマチュアリズムに顕著なように商業主義に対する拒絶感をもつ一方で、資本の論理によって盛衰をくりかえしてもきている。スポーツを対象にするおもしろさや大切さが、このような視野をもつことにあるのは明らかだが、スポーツの専門家にはまた、芸術同様、どうしようもなく欠落したものであることもまちがいない。(2000.07.17)

D.A.ノーマン『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう』( 新曜社 )

・この本でノーマンが力説しているのは、けっして反コンピュータではない。逆にもっともっと使いやすいものになるべきだという主張である。「IT 」ということばが時代を象徴するものであるかのように使われているし、「ハイテク」なることばも相変わらず顕在だ。しかし彼は「ハイテク」は未熟なテクノロジーの別名だという。

・新しいテクノロジーは最初、その目新しさ、あるいは希少価値によって注目され、人の欲望を駆り立てる。高価でけっして使いやすいわけではない。というよりは使い道さえはっきりしているわけではない。初期のパソコンがまさにそれだった。しかし、「テクノロジーが基本的なニーズを充たす地点まで達したとき、テクノロジーの進歩は魅力を失う。」つまり、機械や道具はそれがハイテクと思われているうちは不完全なもので、成熟すれば、そのテクノロジーの存在は自覚されなくなるというのだ。

・考えてみればあたりまえだが、読んでいて目から鱗という感じがちょっとした。テクノロジーは何か便利な道具の裏に隠れて、何ら存在感を主張しないで機能する。ぼくはパソコンを主にワープロとして使っているが、同じ筆記用具である鉛筆や万年筆やボールペンをテクノロジーだとは思わない。手に持った感触や書き味、字の太さなどで道具を選ぶことはあるが、処理スピードだとか、記憶容量だとかいったテクノロジーの能力そのものなどまったく関係がない。相変わらずそのあたりが商品価値として喧伝されているパソコンの状況は、それが依然として幼稚な段階にあることを証明しているというわけだ。

・ノーマンは性能を売り物にする傾向を「なしくずしの機能追加主義」とか「蔓延する機能追加主義」と呼ぶ。それはまさに病だが、パソコンには、クロック・スピードがギガヘルツになったとか言って驚く風潮が顕在で、誰も、それが病気の症状などとは思っていない。ぼくはマックを使い始めて12 年になるが、その間に次々と8台ほどを購入した。理由はもちろん、CPUの能力や記憶容量で、買い換えなければ、必要な作業ができなくなるという不安におそわれたためだ。

・しかしこれはおかしな話で、まずまず満足がいく仕事をしてくれるパソコンは壊れないかぎりは、仕事をさぼることはない。能力が落ちるのはソフトをバージョンアップするからで、ハードとソフトは、絶えず買い換えさせるために、共謀して、いたちごっこを繰り返している。ぼくらは、その罠にまんまとはまりこんでしまっているのである。ぼくがこれまでソフトとハードに使った金額はたぶん500万円を超えているだろう。何しろ最初のMac SE30だけで100万したし、ソフトや周辺機器をあわせると150万円以上も使ったのだから………。

・ノーマンは「MSワード」が1992年に311のコマンド(機能)をもっていたことを、それでも多かったと言ったあとで、97年には 1033になったと指摘している。コマンドの多さは能力の向上を示すが、実際に使ってみれば、かえって煩雑で使いにくい。ぼくは数年前から文章を書くのは単機能のエディターにしてワープロ・ソフトは捨ててしまったが、学生からのレポートがワードのままで送られてくるから、仕方なしにMS Officeを買い直した。しかし、ワードはほとんど使っていない。ぼくは文章を書きたいのであって、パソコンの操作を楽しみたいわけではないのである。

・この本の原題は"Invisible Computer"と名づけられている。つまり、コンピュータをやめてアナログ的な道具で行こうというのではなく、コンピュータであること意識せずまるで鉛筆や筆のような感覚で使えるコンピュータを望む、という主張なのだ。

・前回書いたが、ぼくは大雪でえらい目にあった。雪道の運転は怖いが、それは同時に4つのタイヤの微妙な動きを意識させてくれる瞬間でもある。ぼくの乗っている車は4駆でABSやVDCといった機能がついている。メーカーのCMにはよく登場する文字で何となくよさそうだ、とか高機能で格好いいといった感じだが、それは雪道のようなところ以外では自覚できるものではない。たとえば、タイヤの一つがスリップをし始めると、コンピュータ制御された動力部分はスリップしたタイヤに送る力(トルク)を減らしてスリップをやめさせるようにする。ようするにスリップし始めても。車自体がそれを回避してくれる。長時間の運転のなかでくりかえしそれが働いて、ぼくはすっかり感心してしまったが、その機能は普段はまったく働かないか、働いてもドライバーに自覚されることはない。

・これはもちろん車に積まれたハイテクだが、パソコンにくらべたらその自己主張は謙虚で、しかも確実だと思った。逆に言えば、パソコンは何の役に立つのかわからないハイテクで飾られすぎているということになる。 (2001.02.05)

中野収『メディア空間』(勁草書房)

・ぼくにとって中野収さんは、日本におけるメディア論の先達である。 1975年に平野秀秋さんと共著で出版された『コピー体験の文化』(時事通信社)は、まさに目から鱗という感じだった。その後につづいてでた『コミュニケーションの記号論』(有斐閣)や『メディアと人間』(有信堂)も、コミュニケーション論やメディア論について考えるさいには欠かせないものだった。

・そんな大先輩が、メディアと社会の関係を、「メディア社会論」として本腰をいれて洗いなおしている。ここで紹介する『メディア空間』は、そのような構想のもとに書かれた前著『メディア人間』(勁草書房)の続編である。そして考察はまだまだ終わらないようだ。

・「メディア社会論」の構想はおおよそ次のようなものだ。

・50年代にはじまり60年代に本格化するテレビと、ラジオやオーディオ機器は、個室化という住環境の変容と相まって、それ以前にはない独特のコミュニケーション空間をつくりだした。つまり一人ひとりが個室にいて、さまざまな情報端末によって他人と、あるいは社会とつながるという感覚がひろまった。『コピー体験の文化』がいちはやく提示した「カプセル人間」の時代である。そのような傾向は70年代から80年代にかけて、たとえば電話の多様化によって促進され、90年代にはいってまたたく間に普及した携帯電話とインターネットによって決定的になった。

・このような現象は当然、個人や人間関係、あるいは社会のさまざまな側面に影響する。たとえば政治も経済も、その動向をメディアぬきに考えることはできない時代になった。『メディア空間』ではそのような変容を、経済については「広告」のもつ重要性という点から指摘していて、経済学が相変わらず、その広告の機能を軽視していることを批判している。

・同様のことは政治の世界についてもいえる。メディアは政治(家)をワイドショーのネタにするが、内閣や政党の支持率がメディアによって流される情報やイメージに左右されるのだから、政治(家)もメディアを無視することはできない。しかし、それで人びとの政治参加の意識が高まったかというと、そうではない。世論調査では選挙に行くとこたえる人がふえても、実際の投票率は下がり続けている。「メディア空間と」「現実」では、人びとは行動も感覚も変えるのである。

・社会はメディアを通してというよりはメディアという空間の中に存在する。そのような意識は個人のレベルでも変わらない。個室としてのメディア空間が移動できるもの、あるいは持ちはこびできるものになったのは、車やウォークマンの普及からだが、今では携帯や多様なモバイル機器によって当たりまえになっている。そのような個人とともに移動するメディア空間は、当然、人前や人混みのなかでも個室状態をつくりだす。社会空間が直接的なものとメディアを介在させたもので複雑に構成されるようになった。

・中野さんは電車の中での若い女性の化粧直しの様子に驚いて、そこに移動する個室空間とのつながりを読みとっている。「つめてください」という一言にむかついて死に至るほどの暴力を加える行動がニュースになっていることもふくめて、これは空間の私性と公共性という意味を考え直すおもしろい視点だと思う。

・前作の『メディア人間』もあわせて、力作、意欲作だと思う。この後に続くはずの作品にも期待したいと思う。しかし、読みながら気になるところも少なからずあった。

・たとえば経済と政治について前述したような論旨で多くのページが割かれているが、経済については広告にかたよりすぎ、また政治については執筆時点の政局にとらわれすぎという印象をもった。経済学が広告を無視しているという指摘には同意するが、経済がメディア空間に大きく左右されている現状は、そもそもバブル景気がそうだったし、最近の株の全体的な低迷や、乱高下する一部の株などにもっと典型的にみられるように思う。ネット・バブルにしても株の低迷にしても、その原因はイメージで、それを増幅させているのはメディアであり、しかも、その空間はグローバルな規模に広がっている。「マネー・ゲーム化」している現実の経済現象にとって重要なのは、むしろこちらの意味でのメディア空間に対する視線のように思う。

・政治は今、小泉や田中で注目の的、つまりはやりである。本書で取り上げられているのはもっぱら、前任者の森元総理だが、本が書かれて出版されるまでのほんの数ヶ月の間に、政治に対する人々の目は一変した。従って読んでいてどうしようもなく、例の古さを感じてしまう。それは、たまたまのタイミングの悪さだと思うが、それだけに、例の使い方には慎重さが必要だろう。何しろメディア空間では、話題は数ヶ月ともたないのだから。

・とはいえ、めまぐるしく変容するメディアやそれらがつくりだす現象に追いつくことにくたびれたり、飽きたりしてしまっている僕には、大きな刺激になった本であることは間違いない。

・このレビューは「図書新聞」に依頼されて書いたものです。 (2001.07.02)

「メディア・イベント」の極み

・日本と韓国で開催されているWカップは、世界最大のメディア・イベントだといっていい。オリンピックはすでに何度か経験してきたが、Wカップはサッカー一種目だけでオリンピック以上の関心を集めている。しかも、あれで負けてもこれで勝てばという多様性がないから、一つの勝敗、というより1点をめぐって世界中が一喜一憂することになる。こんなイベントを目の当たりにするのは、ぼくにとってはじめてのことだ。テレビの世界同時中継が可能にした大騒ぎで、まさにメディア・イベントの時代であることを実感させられた。

・もちろん、メディア・イベントの歴史は長い。それは、新聞の創生期から、読者の関心を集めるものとして認識されてきたし、ラジオやテレビの時代になって、いっそう際だつようになったものである。たとえば、日本の新聞が一挙に購読者を増やしたのは「日露戦争」の報道だったし、甲子園の高校野球は朝日新聞が作りだしたものだ。戦争とスポーツを一緒にはできないかもしれないが、事実の報道にも、出来事を脚色し、物語を作りだして人びとの関心を惹きつけ、夢中にさせるといったやり方が強調されるから、メディア自体が作りだしたイベントと、そうではない出来事とのあいだには、実際、それほどの違いはないのである。

・今回紹介する一つは、そのメディア・イベントについて書かれたものである。『戦後日本のメディア・イベント』(津金沢聡広編著、世界思想社)はその前作『戦時期日本のメディア・イベント』の続編で、範囲は戦後から1960年まで。そのなかでスポーツに関係するのは2編。「戦後甲子園野球大会の『復活』」(有山輝雄)と「創刊期のスポーツ紙と野球イベント」(土屋礼子)。その他にテレビの普及とあわせてよく話題になる「メディア・イベントとしての御成婚」(吉見俊哉)や、もっと地味な話題、たとえば「復興期の子供向けメディア・イベント」(富田英典)など多様な話題が取り上げられている。

・有山さんは今年から東京経済大学に来られて学部の同僚になった人だが、彼は、甲子園を、日本に輸入された野球を「正しく模範的」な「武士道野球」に作りかえた「道徳劇」の舞台としてとらえている。また一方で、甲子園は朝日新聞の宣伝イベントとしてはじめられたものだから、そこには「見世物興行」としての側面が強くあり、娯楽性や有名性といった要素がつきまとう、きわめて矛盾の多い形にならざるをえなかったというわけだ。

・甲子園野球は戦争の中断の後に復活する。その際に、軍国主義的な色彩の強い「武士道野球」という特徴は影に隠れるが、実体は、「スポーツマン精神」ということばに置き換えられてそのまま継続する。「戦時の野球を隠し、しかも隠していることを復活、再生の言説によって隠し………戦時中を脇に片づけてしまえば、野球はスポーツ化され、復活した大会は『平和の熱戦』となりえた」(44頁)。このイベントは、そのメッキがかなり剥げてしまっているとはいえ、相変わらず「汗と涙の青春のドラマ」として春と夏に甲子園をにぎわしている。前にも書いたが、ぼくはこの甲子園野球が生理的に嫌いだ。


・Wカップのテレビ中継や新聞記事を見ているかぎり、そこには甲子園のような「道徳劇」の要素は目立たない。むしろ、なじみの選手を応援して興奮したり、感動したり、格好いい、話題の選手に熱を上げたりといった話題が多い。また韓国での様子には感じられる強烈な「ナショナリズム」も、日本ではそれほどでもなかった。そのクールさが両国の成績の差になっているのかもしれないが、ぼくは、興奮もこの程度でちょうどよかったのではないかとおもっている。優勝候補だったイタリアやスペインが審判の判定を公に批判している。負けるはずのないチームが弱いはずの国に負けた。その現実を認めたくなくて、責任を他に転化させようとしているところがみっともない。ベスト4に残ったヨーロッパ勢はドイツだけ。これは、Wカップが本当に世界的な「メディアイベント」になった証拠だと言えるかもしれない。

・「メディア・イベント」として気になる点をもう一つ。競技場のフィールドの周囲はいくつもの広告ボードで囲われている。目新しい光景ではないが、Wカップでは、それを一枚置くのに数億円の費用がかかるという。テレビ中継でも、民放の場合には試合の前後や前後半のあいだの休みにたくさんの CMが流された。放映権料は前回のフランス大会にくらべて桁違いに高騰している。世界大のメディア・イベントがまた格好の広告の場になり、巨額の金が動く機会になっている。

・『スポーツイベントの経済学』(原田宗彦、平凡社新書)によれば、今回のWカップでFIFAにはいる金は、1500億円を超えるそうである。チケットの売れ残り騒ぎは、放映権料の高騰で入場料収入に無頓着になったせいかもしれない。いずれにしても、FIFAは濡れ手に粟。しかし、ホテルの予約キャンセルが多数出た韓国では、チームの盛り上がりとは裏腹に、Wカップ不況が心配されているようだ。いくつも作った巨大なスタジアムは、これから何に使って維持していくのか。韓国の諸会場はもちろん、新潟、大分、宮城、神戸、静岡……。ぼくは、祭りの後始末が心配になってしまう。 (2002.06.24)

R.シルバーストーン『なぜメディア研究か』(せりか書房)

・「なぜ、メディア研究か」というのは、うまいネーミングだと思う。原題は"Why study the Media?" 。ぼくはこのタイトルに、最初、相反する二つの思いを持った。一つは「今さら何を言っているのか、メディア研究は腐るほどあるじゃないか」という冷ややかなもの。 もう一つは、そこに「何か新しい発想や提案があるのでは」という期待と好奇心。

・「なぜ、メディア研究か」。シルバーストーンは「メディアがわれわれの日常生活にとって中心的であるが故に、われわれはそれを研究しなければならない」と言う。メディアは私たちの「経験の総体的なテクスチャー」を成していて、「日常的で、同時代の経験の本質的な次元」となっている。たとえばテレビの仕事は表象の翻訳にあるという。それは「意味を生産するプロセス」であり、すでに制度化されたものである。


・メディアはその単一でも多様でもある表象を通じ、日々のリアリティを濾過し、枠づけている。つまりそれらは日常生活を方向づけ、常識の生産や維持に役立つような判断の基準を提供し、参照すべき情報を示している。私たちがメディア研究の出発点にしなければならないのは、この常識が通用していくレベルなのである。(31頁)


・「リアリティの濾過と枠づけ」。確かにそのとおりだ。しかし、そのような指摘はけっして新しくない。その理論的な方向として、たとえば、K.バークやR.バルトがあげられているが、それらがもてはやされたのは30年近く前のことだ。

・もっとも、日常生活のなかへのメディアの浸透は、むしろ、ここ30年ほどで加速度的に進行している。テレビが現在のように強力なメディアとして君臨し始めたのは80年代からで、メディアによる「リアリティの濾過と枠づけ」は一層巧妙になり、過激になり、そして私たちの意識に入り込んで自然なものにさえなった。

・シルバーストーンはその一つとして、パブリックな文化のプライベート化とプライベートな文化の公共化をあげている。ここにはもちろん、公的な出来事が私的な話題として、あるいは私的なコンテクストのなかで消費されること、逆に私的な出来事が公的な話題として登場することがある。しかし、この問題はそこにとどまらない。シルバーストーンはラジオが、そしてテレビがしたことは、誰にとっても私的な住みかである家庭を壊し、再発見し、再構成したことだったという。そして、破壊して再構成したものは、もちろん、ほかにもたくさんある。たとえば「消費」という形態。


・私たちはメディアを消費している。私たちはメディアを通じて消費している。私たちは、メディアを媒介にしてどう消費するか、何を消費するか、を学ぶ。また私たちはメディアを通じて消費するように説得される。メディアが私たちを消費する。(178頁)


・メディアなしには成り立たない公と私の出現とその関係の定着。まったくその通りだが、意地悪な読み方をすれば、これらもまた、J.ボードリヤールやS.ユーエンなどによって確認済のことだ。とは言え、そんな指摘や批判とは関係なしに、メディアはますます私たちのなかに浸透して、そこに結構楽しげで居心地のよい場所を次々と提供してきている。メディアに身を任すことではじめて自覚される「私」。それはすでに「自然」な感覚のようにも思えるが、そのような意識の有り様やメディアがさまざまな部分に深く複雑に入り込んだ状況を鮮やかに分析した研究は確かに少ない。

・大学生と接していて気になることばに、「みんな」「普通」「昔」といったものがある。すでに何度も指摘したことだが、僕がそのことばに奇妙さを感じるのは、そこには時間的にも空間的にも「多様性」が欠如していて、しかもそのことに無自覚だと思えるからだ。シルバーストーンが「記憶」について触れた箇所には、そこをうまく説明してくれる部分がある。


・私たちは次第に歴史と無関係に生活するようになっている。過去は、現在と同時に、分断と無関心によって無視されている。(269頁)
・歴史はアイデンティティが創出される場所であり、記憶は国民として、個人として、多くの要求が出され、それに対立する要求も出される場である。ポピュラーな歴史やポピュラーな記憶がある。それらは危険さを増している。非公式な記憶に対してメディアが横柄な態度を取り続けているからだ。(283-284頁)


・メディアにたよって生活する私たちの記憶は、また、メディアによってもたらされた経験を主に蓄積されたものだ。メディアが作り上げるのは時間も空間も好き勝手に切り刻み、分断し、「リアリティの濾過と枠づけ」をした「世界」。だからそこから「みんな」や「普通」や「昔」という感覚が生まれてくるのは当然のことで、そこに慣れ親しんでしまうと、そのような記憶の奇妙さに気がつくこともなくなってしまう。

・シルバーストーンは「メディア研究」の必要性のなかに家庭や消費のほかに、遊びやコミュニティについての考察をいれ、また「記憶」のほかに「信頼」や他者との関係をふくめている。そこには、メディア研究は個々のメディアだけの問題ではなく、生活や人間関係、あるいは自己意識にも及ぶトータルなものだという認識がある。目新しさに惑わされずに、歴史を辿りなおしてみることの重要さもふくめてメディア研究の必要を説得させられた。相反する思いがここで一つになって、納得。誰より、メディア社会の中で生まれ育った学生たちに読ませたい一冊である。 (2003.07.02)

キャロリン・マーヴィン『古いメディアが新しかった時』 (新曜社)

・学生の卒論から若手の研究者の業績まで、携帯電話やインターネットをテーマにするものが多い。それだけ身近なものであり、また注目に値するものであることは否定しない。けれども、そのあまりに近視眼的な発想や関心の持ち方にうんざりすることも少なくない。彼らの主張は要するに、携帯電話やインターネットが人間関係やコミュニケーションの仕方を根底から変えてしまった、あるいはしまいそうだということにつきる。確かにそういう一面は目立つのだが、だからこそ、さまざまなコミュニケーション手段の開発のたびに同じような指摘がくり返されてきたことを、歴史を辿って見直してみるべきだと言いたくなる。

・目新しいものを見るときには、かえって古いものに目を向けて新旧の比較をしてみる必要がある。最近そんな思いをますます強くしているが、本書はそのような関心にぴったりの本である。それは何よりタイトルに示されている。『古いメディアが新しかった時』。明解でしかも好奇心をそそる題名だと思う。著者のキャロリン・マーヴィンはアメリカ人で、彼女が注目するのは一九世紀末に普及した電気とそれを使ったさまざまな技術である。電信、電話、電灯、映画、あるいは蓄音機………。この本を読んでまず気づかされるのは、百年前の人びとが新しい技術に出会ったときにもった驚きや疑問、あるいは考えや行動が、現在の携帯やインターネットのそれに奇妙なほどに類似していることである。

・たとえば、今ここにいない人の声を聞くことができたり、人やものの動きがスクリーンに映し出されることに驚く人はすでにいない。しかし、持ち運びできる小さな電話の出現やパソコンの登場、あるいはインターネットの普及に際して感じた驚きや疑問や不安は、多くの人に共通した経験として今なお進行中のことである。その間にすぎた百年が示すのは、技術の進化であって、人びとが実感する、新しいものに対する驚きや疑問、あるいは不安ではない。この本を読んで感じるおもしろさは何よりそこにあるし、新しいメディアの研究には、古いメディアが新しかった時代を知ることが不可欠であることをあらためて教えてくれる。

・パソコンの普及時によく見られたのは、パソコンの知識や技術による階層化だった。コンピュータのハードやソフトの専門家がいて、それを雑誌や新聞でわかりやすく解説する人がいる。次にいるのはそのような知識をもとにいちはやくパソコンを自分の道具として使いこなす人だし、その外側には使いたいけどむずかしそうと、しり込みする人たちがいた。そしてさらにその外側には、拒絶する人や無関係な人がいる。そんな階層化のなかで人びとがする議論や吹聴や言い訳がおもしろかったが、この本の中でも、一九世紀の末には電気や科学技術をめぐっていくつもの階層化が出現したことが指摘されている。

・耳慣れない専門用語とそれを翻訳することばによってできあがった区分けを、この本では「テクスト共同体」という用語で説明している。専門用語をめぐるエリート層の形成とその大衆化の関係、いちはやくそのノウハウやリテラシーを身につけた者の優越感と得体のしれないものに対して不信感をつのらせる者。今では古くなってしまったメディアや技術が新しいものとして登場したときに与えた衝撃は、最近のITの比ではない。膨大な資料から掘りおこした多くの実例を読むと、そのことがよくわかる。

・本書には電信や電話、電灯、ネオンサイン、あるいは電気そのものについて、作り話ではないかと思わせるような笑い話がいくつも紹介されている。色恋沙汰のうわさ話が電話によって村中にあっという間に広まる話。モールス信号をつかったひそひそ話。病気が電話で感染するのではという恐怖。階級や家庭の垣根をたやすく越えるという不安感。電気カクテル。ボトル詰めされた電気砲弾。街や遺跡や商店のライトアップ。あるいは月面への光の投射や宇宙人との交信………。

・電気技術がもたらす豊かなコミュニケーションが世界中の争いごとを解決する。こんな予測もまことしやかに語られたようだが、二〇世紀には二つの大戦があり、ナショナリズムやイデオロギーの対立が続いた。あるいは、映画、ラジオ、テレビのようなマス・メディアが発達し、メディア研究もマスに偏重しておこなわれた。そこからさらに、イデオロギーの終焉やボーダレス化が指摘され、携帯やインターネットがメディアの主役になろうとしている現在に続く。この本を読むと、そんな長い時間でメディアを考え直してみたくなるが、それだけに、一九八八年に書かれたこの本は、できればもう少し早く、携帯やインターネットが普及する前に翻訳してほしかったと思う。
 
(この書評は『図書新聞』の依頼で書いたものです。) (2003.11.03)

野村一夫『インフォアーツ論』(洋泉社)

・僕のメールには毎日たくさんのジャンク・メールがやってくる。大半はアメリカからのもので、ヴァイアグラやアダルトサイト、ダイエット、あるいは株などの投資の宣伝だ。便利なメールが、これではかえって邪魔になる。どうしてこんな状態になってしまったのかと腹立たしく思う。他にも詐欺や違法コピー、匿名の誹謗中傷行為、あるいは自殺の呼びかけなど、インターネットが問題視される話題は少なくない。

・野村一夫の『インフォアーツ論』は、そのようなインターネットの現状についての批判と提案の書だ。彼はインターネットの初期から「ソキウス」というサイトを立ち上げて、ネット社会の将来についてリーダーシップをとってきた人だ。その彼が、この本の中ではかなり立腹している。

・インターネットは大学間の交信などからはじまった。個々のネットワークがたがいを結びあう形でおこなわれたから、基本には、自発的でボランティア的な発想が生まれ、「ネチズン」(ネット市民)とか「ネチケット」(ネット・マナー)といった意識が共有されるようになった。八〇年代から九〇年代にかけての話である。

・インターネットやホームページ、あるいはメールが話題になりはじめたのが九〇年代の後半で、ブロードバンドやiモードが登場したここ数年で一挙に一般的なものになった。その気があれば、誰もが容易に活用し、参加できるメディアになったが、その急速な普及や使用の安易さがまた、さまざまな問題を引き起こしてもいる。

・たとえば、車を運転して道路を走るためには運転免許証を取得しなければならない。運転は道路交通法にしたがわなければ罰金を取られてしまう。もちろん、事故の危険性が常にあって、人やものを傷つけたり命を奪ったりもしかねない。ところが、インターネットには免許はいらないし、道交法のような法律もない。せめてネチケットぐらいはわきまえてほしいものだが、それを身につける機会もほとんどない。

・『インフォアーツ論』が注目するのは高校ではじまる「情報教育」で、著者はインターネットを利用する前に、その仕組み、そこでできることを教え、参加者としてのマナーやネットを支える一員であるという意識を植えつける必要があるという。ところが、現実のカリキュラムはIT(インフォテック)の授業ばかりで、「インフォアーツ」といった側面がまったく欠落しているというのである。

・インターネットは、個々の人々が利用者であると同時に、支える者としての自覚を持たなければ、やりたい放題の危うい場になってしまう。といって国や国際的な取り決めによってがんじがらめにされたのでは、その可能性が消えてしまう。
・著者が提案するのは、今こそ初心に戻ってインターネットの意味を自覚しなおすことで、特にこれから参加する若い世代の人たちに伝える必要があるという。まったくその通りだが、教育の場にはそのような自覚が乏しいし、人材もまた少ないようだ。

(この書評は『賃金実務』1月号に掲載したものです) (2004.02.16)

伊藤守『記憶・暴力・システム』(法政大学出版局)

・最近のテレビには気になるところがずいぶんある。たとえば、事件が起きたときにくりかえされる、きわめて感情的な報道、バラエティ番組の多さ、というよりは何でもバラエティ形式にしてしまう安直で画一的な作り方、特定の話題、人物への極端に偏った注目等々、あげたらきりがない。

・テレビは一見、新しいモノゴトをいち早く伝えるメディアのように思われるけれども、そこにはきまって、古いおきまりの味つけがされている。常識はずれをやっているように見えても、またきわめて常識的な枠取りがされている。だから、わかりにくさは排除されるし、多様性は無視される。その意味で、テレビは保守的なメディアだが、このような傾向が、ますます顕著になっている気がする。テレビなんてしょせん、そんなしょうもないメディアだ!と言ってしまえばそれまでだが、一方でその影響力はものすごく大きい。

・伊藤守の『記憶・暴力・システム』は、そんなテレビの力を、それをささえる社会やテクノロジーのシステム、介入する政治的・経済的権力、そこで使われる「言説」の特徴や作り出される「テレビ的リアリティ」の分析をテーマにしている。テレビについて批判理論を展開させようとする意欲作だと言える。この本が最初に問題提起しているのは、おおよそ次のようなことだ。

・だれかが何か発言しようと思う。あるいは発言せざるを得ないと感じたとする。それはおそらく、大多数が共有する価値や見解とは相容れないか、あるいははずれたものだ。そうすると、どういうことが起こるか。メディア、とりわけテレビはまず、それを無視しようとする。無視できないものであれば、大多数が共有するはずの「常識」を盾にして、あるいは矛にして批判し、押しつぶしにかかる。あるいは論旨のすりかえといったこともあるだろう。その意味で、テレビに自由で気ままが許されるのは、あくまで「常識」の範囲内のことにかぎられる。


・大多数が共有する価値や見解を「常識」として押し付ける強力な圧力を形成するメディア、日々の経験を自明なものに編制し、しかもその自明性を、変化をともないながら組み替える強力なパワーをもったメディアに焦点をおきながら、メディア文化の生産と消費をふくむコミュニケーション構造全体の問題と、それを消費するオーディエンスの行為を考えることが本書に収録した文章の狙いだった。(p.vii)


・政治的な対立点が曖昧になり、ことの善悪も真偽もわかりにくい世界になっている。そんな中でテレビは、一方でなかば無意識のうちにおこる感情や欲望に訴えかけ、他方でまたきわめてわかりやすい常識や慣行を持ち出してくる。みずから火をつけ、事を荒立てておきながら、またあたかも裁判官のような態度をしめして、それを沈静化させようとする。テレビは曖昧な世界をますます増幅させるが、そうであればこそなおさら、それをわかりやすくすることにも懸命になる。まさに「マッチ・ポンプ」の世界である。

・もちろん、視聴者である私たちは、そのような意図にまったく無自覚だというわけではない。むしろ、そんなテレビをけなし、冷ややかに嗤うことを視聴態度の一つにさえしている。けれども、できるのは、その程度のことでしかない。テレビに映ったものへの関心度に比べて、映らないものへのそれが、ほとんどゼロに近いとすれば、どんなに批判的な態度をとったとしても、テレビに囲い込まれていることに違いはないのである。

・天皇の戦争責任を追及して開かれた「女性国際戦犯法廷」をNHKがドキュメントして放送した。2001年の話だが、この番組は、「法廷」の内容を改竄したと主催者に訴えられた一方で、今年になって、番組を制作したNHKのディレクターによって、自民党の政治家から、内容変更についての強い圧力があったというリークもされている。この問題を大きく取りあげた朝日新聞とNHKとの間、さらにはそこに安部、中川の自民党議員が加わった議論があって、しばらく音沙汰なかったが、7月25日の朝日新聞で、リーク記事以降の経過がまとめられた。

・記事によれば、自民党議員、とくに中川昭一ははっきりと、変更した番組の放送中止を求めているし、NHKの予算をとおすべきではないと言っている。偏向しているから放送をしてはいけないというのは、一見もっともらしいが、偏向であるかないかの規準がどこにあるのかははっきりしないし、それ以上に、多様な考えや主張を偏向という名で閉め出したのでは、結局、常識という名の体制的な考えで一色に染まってしまうことになる。権力の側にたつ者が判断した「偏向」のレッテル張りは明らかに、逆サイドへの偏向である。NHKはもちろん、反論したが、夜の7時のニュースでは、トップではなくスポーツに移る前だった。

・『記憶・暴力・システム』には、「法廷」とそのドキュメントとの間にあるずれをテーマにした章がある。2003年に発表されたものだが、そこで問われているのは、テレビ的リアリティが歪曲する「記憶」の問題である。


・この改竄問題から、私たちはなにを読みとるべきなのだろうか。それは、「天皇の戦争責任」、そして日本軍「慰安婦」といった事柄を、私たちが想起すべき過去の記憶、公共の記憶としてはふさわしくないものとして構造的に排除するコミュニケーション構造の暴力性である。(p.95)


・天皇を戦犯にしたくない、してはいけないとする考え方が、公共の記憶を、天皇の戦争責任を問わない方向で作り上げてきた。あるいは外国人に強制した従軍慰安婦などはなかったことにとしたいという気持ちが、その事実を公共の記憶から消し去ってきた。「女性国際戦犯法廷」はそこを断罪し、NHKのなかにも、それを放送する必要性を自覚する人がいたわけだが、またそれは、公共の記憶を否定する告発であったために、政治権力の介入を招くことにもなった。

・私たちは、こういった問題にどうしようもなく鈍感になっている。あるいは、自覚し、共感していても、それを話題にすることにわずらわしさを感じるようになっている。それはテレビが提供する常識的でわかりやすいリアリティに安住しているほうが圧倒的に楽だからだ。「テレビ的リアリティ」は「あまりに日常の一部となっているために真剣に意識されて行われているわけではないテレビを見るという行為と、公平と客観性のスローガンの下に本質的な対立点や論争点を曖昧化するテレビジョン特有のテクスト構成、という二つの相補的な関係性から成立する。」(p.98)


・著者は、それが分厚い皮膜のようになってテレビとその視聴者を覆っているという。テレビ的リアリティこそが唯一の現実ということになったら、それこそオーウェルが描いた逆ユートピアそのものだが、皮肉なことに、テレビがもたらすリアリティは、そこに安住していればそれなりに自由で幸福な生活を実感させてくれたりもする。皮膜の分厚さをいまさらながらに思い知らされる気がするが、それが見えないものではなく、目に見える形で露骨になっている。 (2005.07.25)

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