ぼくの作品

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著書


communication1.jpg 「新版コミュニケーション・スタディーズ」
(世界思想社)2021年

「コミュニケーション・スタディーズ」の改訂版です。10年経って1万部を超えましたが、これからも教科書として使われそうなので、インターネットなどを中心に大幅に書き換えました。ちょうどコロナ禍で、人間関係に大きな変化がもたらされそうな気配でしたから、そのことにどこまで触れるか苦労をしました。 詳細



LS2.jpg 「『レジャー・スタディーズ』
(世界思想社)2015年

今回もまた、僕の研究室に集まる若手の研究者たちと作りました。日本が経済大国と言われるようになって、もうずいぶんになります。しかし、いつまでたっても成熟した社会にならない。その指標のひとつが「レジャー」の貧困さにあることは明らかです。そのような視点から「レジャー」の現状を見つめ、「仕事」や「ライフスタイル」との関係について批判的に分析しました。。 詳細



report.jpg 「『文化系』学生のレポート論文術」
(青弓社)2013年

前作の『コミュニケーション・スタディーズ』同様、僕の研究室に集まる若手の研究者たちと作りました。論理的で客観的な文章を書くことが大学生にはますます難しいことになりました。ネットを使って安直に、ではなく、本を読み、資料を集め、自ら取材をして、自分の頭で考える。その大切さとノウハウを一冊にまとめました。 詳細



CS-1.jp 「コミュニケーション・スタディーズ」
(世界思想社)2010年

大学で担当する「コミュニケーション論」に使うテキストとして作りました。作成には、僕の研究室に集まる若手の研究者たちが参加しています。大学生たちにとって「コミュニケーション」に関わる身近な話題は何か、そこからどのようにして、理論や歴史、そして異なる社会や人間関係への興味を引き出していくか。そんな課題を掲げて2年近くを費やした成果です。 詳細



l&I.jpg 「ライフスタイルとアイデンティティ」
(世界思想社)2007年

「ライフスタイル」にしても「アイデンティティ」にしても、ぼくにとっては、大事なことばですが、すでに手垢にまみれてほとんど魅力を失ったことばのようにも感じられます。それが、広告のことばのなかには、相変わらず氾濫していて、何かまだ特別のイメージを感じさせるかのようにつかわれています。そんな傾向にたいして、出発点に帰って問いなおしをして、最近の風潮を批判してみたいと思いました。 詳細



popular-cover.jpg 「<実践>ポピュラー文化を学ぶ人のために」
(世界思想社)2005年

初めての編著です。ポピュラー文化、あるいは現代文化について調べ、考え、文章を書こうと思う人たちのためにつくったガイドブックです。大学でゼミなどのテキストとして使われることを念頭に置いて作りました。執筆者のほとんどは現役の大学院生、あるいは博士課程を終えて間もない人たちです。調査やインタビュー、あるいは参与観察の実体験を中心に書いてもらいました。目次



identity3.jpeg 「アイデンティティの音楽」
(世界思想社)2000年

20世紀のポピュラー音楽、とりわけロック音楽を題材にして、20世紀の文化とメディアと若者世代の関係について考えるというもの。政治や経済はもちろん、文化や人びとの生活など、人間の歴史を見たときに思うのは20世紀が何とも異常な時代だったということ。その象徴がメディアの発達と若者世代の誕生に見て取れるというのがこの本のポイント。詳細については目次



book5.jpeg 「メディアの欲望」
(新曜社)1994年

なぜわれわれはモノに欲望するのか。モノを通して自分を表現し、モノを通して他人と関係する"モノ語り"の人間関係を、モノのメディア性の露出として描きだす。「人とモノ」「モノの宇宙」「、メディアのリアリティ」「コンピュータの欲望」「「モノとしての本」「若者文化とメディア」の各章で構成されている。ここで扱われたモノはテレビや電話といったいわゆるメディアから、パソコン、文房具、あるいはバイクや車、さらには衣装や化粧品、そして冷蔵庫やオーブン・レンジまで、といった幅広いものである。



book4.jpeg 「メディアのミクロ社会学」
(筑摩書房)1989年

電話で会話を愉しんでいる娘と、眉をひそめてそれを眺めている父親とでは、電話というメディアへの関わりすらまったく違うであろう。本書は多元化し、日常化するメディアの特徴と意味変容をE.ゴフマンの「フレイム分析」を土台にして具体的に語るニュー・メディア時代の人間学。「メディアのフレイム」「電話のコミュニケーション」「オーディオ・メカのミクロコスム」「行為としての写真」「テレビの相互作用」「ペンと自己」「活字の世界「「リアリティの行方」の各章で構成されている。
本と同じ体裁のものがダウンロードできます。PDF

book3.jpeg 「私のシンプルライフ」
(筑摩書房)1988年

ボブ・ディランにひかれ、カウンターカルチャーに目覚めた世代のニューライフ・レポート。結婚すること、子どもを育てること、仕事のこと、ライフスタイルのこと、そして私のこと。しかし、ここで考えているのは、人びとの先頭をきって走るような生き方のもつ積極的に評価できる側面ばかりではない。むしろ、問題なのは、新しい生き方を選択した人間がもつ不確かさの感覚や、露呈してしまうぎこちなさ、あるいは格好の悪さである。そこから、普通の人の普通の生活のなかに求められ、見いだされる生き方を再発見し、再評価する余地もうまれてくる。他にG.オーウェル論など。
本と同じ体裁のものがダウンロードできます。PDF


book2.jpeg 「ライフスタイルの社会学」
(世界思想社)1982年

旅、音楽、ミニコミ、性、世代といったテーマを中心に、ライフスタイル論を展開。既成の生き方や生活様式に、新しい生活スタイルを重ね合わせることで、生き方や社会や人間関係のあり方の意味をつきとめる。それは身近な日常生活や人間関係を旅人の視点から見つめ直す試みだといってもいいだろう。「私は誰?」「ここはどこ」「あなたと私の関係は?」「『らしさ』のコミュニケーション」「まるで女のように、そして男のように「「『やさしさ』と『おもしろさ』からの造反」「河の流れを見つめて」の各章で問いかけられるのは、何よりそのような疑問である。



book1.jpeg 「生きるためのメディア図鑑」
(技術と人間)1981年(共著)

人はうまれ、精いっぱい生きて、そして死ぬ。そのくりかえしで人びとの歴史が成り立つように、「ミニコミ」も絶えることなくうまれつづけ、そして消えていく。そこに、送り手と受け手が互いにさまざまな思想や意識あるいは感情を共有しあう小さな世界があらわれる。
さまざまなミニコミが、たくさんの人たちの手で出されてきた。本書が紹介するのは74年から81年にかけて出されたミニコミの代表的なものである。戦後のミニコミを網羅した年表は苦心の作である。




翻訳


cs1.jpg 「カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために」
(世界思想社)クリス・ロジェク、2009年、(共訳)

日本では、カルチュラル・スタディーズはほんの数年間話題になっただけだが、1960年代から現在まで、40年以上の歴史をもっていて、その間に、大きな変容を遂げてきている。この本には、その変容が平易に、そして明快にまとめられていて、一時期興味をもった人はもちろんだが、これから現代の文化について考えたり調べたりしようとする人たちにも、きわめて有効な一冊だと思う。


cover.jpg 「ポピュラー文化論を学ぶ人のために」
(世界思想社)D.ストリナチ、2003年、(共訳)

ポピュラー文化を表層ではなく深層でとらえるためには、どんな理論に依拠したらいいのか?その理論は多様で、しかも相互に関連性があるわけではない。この本は古典的な「大衆文化論」から「フランクフルト学派」「構造主義」「記号論」「マルクス主義」「フェミニズム」「ポストモダン理論」などを丁寧に追いながら、ポピュラー文化のとらえかたについて、わかりやすく説明したものである。


book10.jpeg 「地図は嘘つきである」
(晶文社)M.モンモニア、1995年

楽しい地図の読み書き読本。賢い読み方、上手なつくり方。新鮮な発見にみちた、地図学入門。無意識のまちがい、意図的なイタズラ、巧妙な情報操作、現実の世界を地図という平面におきかえるとき「嘘」はうまれる。現地と地図は違うというのは誰もが知っていることである。けれどもまた、地図を現地そのものとして錯覚しがちなのもまた、誰もがしてしまうことである。カーナビやパソコンでの3D地図の時代には、地図はますます現地と見分けがつきにくいものになっていく。そしてこんな時代だからこそ、もう一度、現地と地図が違うものだという、当たり前の事実を肝に銘じなおす必要があるのだ。


book9.jpeg 「鉛筆と人間」
(晶文社)H.ペトロスキー、1993年(共訳)

1本の鉛筆にこめられた人類3000年の夢と智恵。思いを伝え、歴史を刻む第一の道具はどのように発達し、生活を変えたのか。鉛筆を追いかけ、ペトロスキーはイギリスからフランス、そしてドイツさらにはロシアへと辿っていく。そして大量生産方式がアメリカで開発される。この本は鉛筆というモノを素材にした壮大な文化史といってもいいかもしれない。『森の生活』で知られるヘンリー・D.ソローが鉛筆製造の一家に育ったこと。そして鉛筆の改良にかなりのエネルギーと時間を割いたことなどは、アメリカ文学論のどこを探しても出てこない逸話である。


book8.jpeg 「家事の社会学」
( 松籟社)A.オークレー、1980年(共訳)

ロンドンに住む若い主婦40人を面接調査。「主婦」「妻」「母」そして「女」という役割に対する彼女たちの生の声をもとにそこに横たわる問題を描き出している。イギリスではどのような社会分析も階級を基本としておこなわれる。それはオークレーも例外ではない。その意味では、彼女の調査結果を日本の社会にそのままあてはめることはできないのかもしれない。けれども、この本に登場する女たちの声は、そのような部分を差し引いてもなお、日本の女たちの意識と重なり合う部分を数多くもっている。


book7.jpeg 「孤独の追求」
(新泉社)P.スレイター、1980年

個人の確立を人間的成長の基本にする社会であるアメリカは、また同時に、人びとが作るコミュニティを大事なものと考える。しかし両方を手にすることはできない。そのような分裂した意識がどうしてもたらされ、それはどのようにしたら乗り越えられるのだろうか。スレイターはそのような問いかけを60年代の対抗文化の主張のなかに読みとって、解決のビジョンを探り出そうとしている。しかし、この問いかけはけっして60年代で決着したものではないし、また、意味のないものになってしまったわけでもない。スレイターの問題意識は90年代の現在でもなお、大きなテーマとして存在している。



book6.jpeg 「エロスの社会学」
(新泉社)R.キング、1978年(共訳)

60年代の対抗文化の思想的基盤にはフロイトとマルクスの統合という戦略があった。本書はそのような試みを代表するH.マルクーゼ、W.ライヒ、P.グッドマン、ノーマン・O.ブラウンなどの思想と対抗文化の関わりを分析したものである。しかし、キングの関心はそこにとどまるものではない。彼の狙いは、フロイトが導入される以前のアメリカの思想的基盤とフロイトがもたらした思想的変化を見つめることで、いわばアメリカという社会全体を思想史として描き出そうとしたところにある。



論文・その他

「ネット社会と自由の伝統」
『コミュニケーション科学第27号』2007年12月発行


ネット社会の実現が、私たちの生活や人間関係をどう変えてきたのか。あるいは、政治や経済、そして社会の仕組みや文化のありようはどのように変容してきたのか。それらのことを明確にするために、インターネットやパーソナル・コンピュータの黎明期にさかのぼって、その発想や展開の経緯や、そこにこめられた夢や思想といったものをほりおこそうという試みです。


「メディアとしてのからだ」
『コミュニケーション科学第22号』2005年3月発行


からだの多くは自分には見えない。その典型は顔ですが、しかし、他人からは丸見えで、しかも自分を表示する何よりの部分になっている。そんな顔やからだについて、他者との関係という視点から考えました。外見を意識すること、病とからだ、顔、そしてその内面との関係。


「音楽とスポーツの軌跡〜ポピュラー文化論のパースペクティブから」
『コミュニケーション科学第17号』2002年11月発行


プロスポーツ選手の海外での活躍が目立っています。しかも彼らはスポーツのみならず、その生き方からファッションまで、多くの人に注目されています。そおような役割は、以前にはミュージシャンの役割だったはずですが、現在では完全に入れかわっているように思えます。この論文では、そんな音楽とスポーツの関係の軌跡を歴史的にたどって見ました。


shun1.jpeg 「消失の技法……ポール・オースターの世界」
『文化社会学への招待』亀山佳明・富永茂樹・清水学編著、世界思想社、2002年4月発行


この本は井上俊さんが京大を退官されるのを記念した論集として企画されたものです。ぼくはアメリカの作家、ポール・オースター論を書きました。キイワードは「消失」。自己のアイデンティティ、親しい他者との関係、そして世界の不確かさ、脆さと、そうではあっても、確かな存在感やリアリティを必要とする私たちの生。彼の作品を、そのような視点から読み解いてみました。


sports1.jpeg「スポーツとメディア」
『スポーツ文化を学ぶ人のために』井上俊・亀山佳明編著、世界思想社、1999年10月発行


ワールドカップやオリンピック、それにメジャーリーグやセリエAなど、関心をもたれるスポーツの多様さは驚くほどですが、そういう状況についての分析は多くはありません。しかし、スポーツについて考えることがおもしろい時代になっていることはまちがいないでしょう。ぼくはここでも「スポーツとメディア」という題目を与えられました。で、MLBを中心に、新聞やラジオ、そしてテレビの関係を調べてみました。


isiki.jpeg「メディアと社会意識」
『社会意識論を学ぶ人のために』仲村祥一・池井望編著、世界思想社、1998年3月発行


社会意識という概念は便利なものですが、考えてみるとよくわからないものでもあります。大学の講義にもあって、さまざまな人が講義を持っているようですが、専門分野に共通性があるわけではありません。テキストにふさわしい本もほとんどないのが現状です。そんな理由で、この本が企画されました。ぼくはメディアの専門家というわけで、20世紀のメディアの発達と個人や社会の意識の変容について考えてみました。





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