ぼくのプロフィール

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1949年1月9日山梨県生まれ。

dylan.jpeg 子どもの頃は富士山のふもと、ティーンエージャーの時期は東京、そして青年時代を京都で過ごす。田舎育ちのスポーツ少年が、ボブ・ディランに出会って音楽青年に変身。スポーツ刈りから長髪になる。親や教師に対する反抗。1965年にFENで偶然聞いた「ミスター・タンブリンマン」は、今から思えばまさに神の啓示だった。で、関西フォーク運動にひかれて京都にやってくる。しかし、音楽的な才能のなさを実感、研究者への道に進路変更。



最終学歴:同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修士課程修了

jun1973.jpeg 卒業後、京都精華大学、平安女学院短期大学、関西大学、大阪大学、同志社大学などで長い非常勤講師の生活を送る。結婚して男の子が二人いる。危なっかしいが楽しいシンプル・ライフ。京都の北から西へ転々と移り住む。京都の町はよそ者には住みにくい。それがわかるにつれて、少しずつ京都から離れる。U2の歌に「君がいても、いなくても、ぼくは生きられない」というフレーズがある。ぼくにとっての京都はちょうどそんな感じなのかも.........。1991年から追手門学院大学の専任教員になる。9年間勤めた後、1999年に東京経済大学に移籍。2017年3月末に退職、1年間非常勤講師を勤める。


現  在:東京経済大学コミュニケーション学部非常勤講師

sundown.jpeg 2000年の3月に山梨県の河口湖に引っ越した。大学までの通勤は中央高速道路。所要時間は1時間半で想像以上に楽だが、つらいのは交通費で7000円かかる。けれども、これでH.D.ソローの「森の生活」のまねごとを経験できる。51歳になって実現したぼくの夢。

関心分野:コミュニケーション論、メディア論、ポピュラー文化論

idol.jpeg 好きなことをそのまま研究テーマにして20年以上も押し通してきた。
「そんなことが研究テーマになるんですか?」
「してるんです。」
「はぁー.......へぇー........ほぉー」
「どうしました?変ですか?」
こんな反応が今でもときどき返ってくる。社会学に扱えないテーマなどないし、仕事と遊びや趣味を切り離して考える必要も、本当はどこにもないはずなのに。でも、それをいいことに、手近な興味を安直に卒論にでっち上げようとする学生が多いのには、ちょっと閉口してしまっている。テーマは何でもいいから、もっと「なぜ?」「どうして?」と好奇心をふくらませてほしいんだよね。とは言え、退職と同時に研究もやめることにした。

趣味:ロック、ロードバイク、マック

highway10.jpeg ロックはプレスリー以来55年、バイクは3年、マックは27年になる。AmazonでのCD買いまくりが快感になって困っているがなかなかやめられそうにない。バイクは冬の積雪のため、HONDAのTRANS-ALPSを手放して卒業。60歳を期に自転車に乗り換えた。天気のいい日には河口湖や西湖に出かけることを心がけている。車はLEGACY LANCASTER。通勤に使っているから1年に25000kmも走っている。スピード違反でオリンピックの周期程度に罰金や講習がやってくるが、事故はバイクもふくめて一度もない。マックはすでに日常の必需品になっているが、それにIphoneや ipadが加わって、いつでもどれかに触っている状態だ。




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